田淵幸一さん、盟友・星野さんを悼む「号泣しました」直前のメールのやりとりも明かす

スポーツ報知
1988年日本シリーズ・西武・中日・第1戦。試合前にベンチで田淵幸一氏(右)と談笑する中日・星野仙一監督

 4日に膵臓がんのため70歳で亡くなった星野仙一さんの盟友・田淵幸一さん(71)が7日、フジテレビ系「Mr.サンデー」(後10時半)に出演し、思い出を語った。

 明大のエースだった星野さんと、法大のスラッガーだった田淵さんは東京六大学でしのぎを削って以来の親友でもある。突然の訃報に田淵さんは「格好良くというよりも、もっともっと彼には人生の新しい思い出を作って欲しい、作ろうなって言っていた。5日の朝にマネジャーから“逝っちゃったよ”と聞いた時、号泣しちゃったよ」と目に涙をためて語った。

 田淵さんは星野さんとやりとりしたメールを公開。昨年12月21日に「パーティー終わり体調悪し ゴルフできね~ やっぱオイラが最初だな オイラの分ゴルフしてな」とのメールをもらったという。今年の元日には「おめでとう まだまだ体調戻らない 歩くのトボトボ 悲しいもの。 娘の家で静養 早く元気にしてゴルフできるよ頑張ります!いつもありがとう!」とメールを受け、電話して「体力つけて、ゴルフやろうって。元気になれ」って激励したという。

 田淵さんも、星野さんが膵臓がんと戦っていることは知らなかった。昨年11月の殿堂入りパーティーでは元気な姿を見せたが「(その後)がくっと来たみたい。野球の神様は最後に力を与えてくれたと思いますね」と話した。

 ともに巨人入りを熱望しながらもかなわずに、打倒巨人を目指した。直接対決を聞かれ「大学時代、22本(本塁打を)打ったけれど、彼からは1本も打ててないんです。プロに入って1年目に(甲子園の)中段にホームランを打ったんです。自慢したら、『お前がバット振ったところに俺が放ってやったんだ』って言うんです。山本浩二にも『お前は俺のおかげで家を建てた』と言っていた」と負けず嫌いのエピソードを披露した。

 2002年には阪神で監督とコーチとして同じユニホームを着た。「一緒のユニホームを着れたことで親友という絆が深くなった」と田淵さんはしんみりと話した。さらに、「(星野監督が)中日監督だった時に10月に名古屋でゴルフやるときに、呼ばれて『おい、やるぞ!』っていうから、ゴルフをやると思っていたら、『違う、縦じまだよ。阪神だ』って」と誘いを受けたという。「普通だったら『やるか?』ですよ。それが『やるぞ!』ですからね」と苦笑いした。

 闘将と呼ばれた盟友に対し「こんな情にもろくて、アフターケアが出来ていて掌握術がある人はいません」と断言。「悔しくてしょうがない、さびしいですよ。親友がいなくなってこんなに悲しいとは初めて知りましたよ」と淡々と語った。

 星野さんと田淵さんは、02年から2年間、阪神で監督とコーチとして同じチームに所属。田淵さんは08年の北京五輪でも星野監督の下、ヘッド兼打撃コーチを務めた。11年から2年間は楽天監督を務めた星野さんをヘッドコーチとして支えた。

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