長嶋さん、落合さんが「10・8決戦」語る 負ければ辞任、引退の決意だった…テレビ東京特番

スポーツ報知
リーグ優勝を決めた直後。マウンドで抱き合う長嶋監督と落合博満

 プロ野球伝説の94年「10・8決戦」について巨人の長嶋茂雄終身名誉監督(81)=報知新聞社客員=と落合博満元中日GM(64)が、10日放送のテレビ東京系ドキュメント番組「アスリートの人生を変えた運命の一日」(後9時)で、これまで語ってこなかった思いを告白していることが8日、分かった。負けたら辞任―。負けたら引退―。背水の陣で臨んだ指揮官、主砲の気持ちが約四半世紀過ぎた今、明かされる。

 背番号「33」と「60」。2人の男はそれぞれ同じ思いを抱きながら敵地へと乗り込んでいた。

 1994年10月8日のナゴヤ球場。運命の130試合目を前にミスターはクビをかけて臨んだ。「負ければこれ以上、監督としての場合は、やっぱり辞める場合があるでしょうね」。負ければ監督辞任。四半世紀を経て語られる当時の心境だ。

 17年間の現役時代、シーズン通算打率、日本シリーズ打率、オールスター戦打率のすべてで3割超え。天覧試合でもサヨナラ本塁打を放つなどプレッシャーには強い長嶋さん。自ら「国民的行事」と名付けた一戦を前に、胸の内には並々ならぬ覚悟を決めていたという。

 テレビ東京では「運命の一日」をテーマに番組を企画。取材を申し込むと、ミスタープロ野球が選んだのが「10・8」だった。「83年のプロ野球の歴史の中で、数多くある中でやっぱり10・8が最高だと僕はそう思います」と明かす。同局では内容を濃密にするため、4番打者だった落合氏に取材をオファー。賛同した同氏が初めて当時の気持ちを語ることになった。

 日本プロ野球史上唯一である「3度の3冠王」。前年オフ、優勝請負人としてFA移籍してきた主砲も、偶然にも心の中では指揮官と同じ思いで決戦に臨んでいた。「昔の戦国時代じゃないけど、負けたら切腹する。そのくらいの覚悟」。負けたら引退―。「熱心に誘ってくれた監督である長嶋さんのクビを私が切ったら末代までの笑い者になる」。オレ流で知られた一匹狼も大きな責任感を背負っていた。

 試合ではその落合氏が先制のソロ、適時打を放つ活躍で宿敵を下した。優勝を決めた長嶋さんは笑い、責任を果たした落合氏はキャラに似合わず人目をはばからずに号泣した。24年前にして今もなお語り継がれる伝説の一戦。舞台裏には悲壮なまでの2人の気持ちがあった。

 ◆10・8決戦 1994年10月8日に行われた中日―巨人戦。ペナント序盤に首位を独走していた巨人が失速。最終戦を前に中日と69勝60敗で並ぶプロ野球史上初の異常事態に。フジテレビ系による試合中継はプロ野球中継史上最高の48.8%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)の視聴率を記録。試合は当時、天敵と言われた今中慎二投手から4番・落合が先制ソロ。松井秀喜もソロを放つなど宿敵から6点。投げては槙原寛己、斎藤雅樹、桑田真澄の「先発3本柱」が継投して3点に抑え、まさに総力戦だった。

 ○…番組は当時、テレビ朝日のスポーツ記者だった長嶋さんの次女・三奈さん(49)にもインタビュー。当時、急きょ名古屋に向かい取材。自身の宿は確保していたが、ビールかけが終わった長嶋さんは娘に「(宿舎に)泊まっていけ」。生まれて初めて父と同じベッドに寝たことを振り返っている。

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