横山たかしひろし「ほんとに辛い」酒井くにおとおる「残念」レツゴー長作さんしのぶ

スポーツ報知
レツゴー三匹の(左から)レツゴーじゅんさん、レツゴー正児、レツゴー長作さん。1978年10月

 漫才トリオ「レツゴー三匹」のレツゴー長作(本名・永原誠)さんが1日に死去したことを受け、同じ松竹芸能に所属し、ゆかりのあるベテラン漫才師の横山たかしひろし、酒井くにおとおるがコメントを寄せた。

 横山たかし「レツゴー三匹と横山たかしひろしがトリを競い合い、切磋琢磨し合いながらライバルとして頑張ってきた事を思い出します。その頃のことを考えると辛いです。皆が亡くなって行くからほんとに辛い。ご冥福をお祈りします」

 横山ひろし「横山たかしひろしがデビューしてすぐの頃、自宅が近かった。ある日、長作さんが家に招待してくれてビフテキをご馳走してもらい、家に泊まらせてもらった。その頃は、ビフテキなんて食べたことが無く、いつかお礼をしないといけないと思い、上方漫才大賞をもらった頃、お肉をお返ししたらすごく喜んでくれた。いつも励ましてくれる存在でした」

 酒井くにお「昔、古い角座の頃、『青山』という服屋でスーツを2着作ってくれた。劇場の合間によく食事に連れて行ってもらい、3人が別々の仕事をするということを相談された事を思い出します。その頃は、別々で活動するなんて考えられなかったのでその事を伝えたら、また3人ですると喜びながら報告してくれました。その頃から三味線を練習していたようです。

芸に対しては、本当に努力家でした。とても可愛がってもらったので、残念です。ご冥福をお祈りします」

 酒井とおる「『青山』という服屋で舞台衣装を作ってもらったり、靴を買ってもらったり、てっちりやステーキ等よく食事にも連れて行ってもらったり、劇場の合間にお茶にも連れて行ってもらった。食事に行ったり、合間のお茶の際には芸談義をすることが多かった。とても芸熱心で、舞台に対して熱心で努力家だった。師匠の散歩コースに僕の家があって、家の下から『とおるちゃん、いてるー?』って呼ばれ、喫茶店に行くこともあった。ご冥福をお祈りします」

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