有賀さつきさん、52歳で急死 がんと独りで闘った

スポーツ報知
有賀さつきさん

 元フジテレビアナウンサーでタレントの有賀さつき(ありが・さつき)さんが1月30日午前8時頃、都内の病院で亡くなっていたことが5日、分かった。52歳だった。死因は不明だが、がんの治療をしていたという。父親の洋さん(84)によると、有賀さんは亡くなる約1週間前から入院し、容体が急変したため誰にもみとられず旅立った。翌31日に通夜、今月1日に葬儀を親族だけで営んだ。有賀さんは徹底して闘病を隠していたため、突然の訃報に関係者にも衝撃が走った。

 華やかで明るいキャラクターで「女子アナブーム」を巻き起こしたさつきさんが、52歳という若さで静かにこの世を去った。

 この日、父親の洋さんは憔悴しきった表情で横浜市内の実家で取材に応じた。有賀さんは1月中旬ごろから体調を崩し、同下旬に都内の病院に入院した。最後の対面は亡くなる3日ほど前。有賀さんの中学生の長女(15)と見舞いに訪れ、会話も普通にできたといい「やせ衰えていたけど、退院できるのではと思った」。点滴を受けながら、漢字検定1級を取得するための勉強もするほどだったが、その後容体が急変。病院からの連絡で娘の死を知らされた。

 身元引受人にも関わらず死因を知らされていなかったという洋さんはこの日夜、病院を訪問。医師に説明を求めたが、死因は「本人の遺志で教えてもらえなかった」。長女も知らされていないという。関係者によると、有賀さんはがんの治療を続けており、昨年夏頃からはかつらをつけてテレビ出演。同9月13日に収録されたテレビ朝日系クイズ番組「Qさま!」(10月9日放送)が最後のテレビ収録となったとみられる。

 170センチの長身に美貌を誇ったさつきさんは1988年にフジテレビに入社。同期の河野(現・花田)景子さん(53)、八木亜希子アナ(52)とともに「花の三人娘」と呼ばれ、アイドルアナの先駆けとなった。天然な言動などでも人気を博し、「旧中山道」を「きゅうちゅうさんどうですね」と読み間違えたというエピソードも話題に。92年には同局を電撃退社し、フリーアナの草分け的な存在となった。

 私生活では、所属事務所社長との不倫騒動を経て、2002年にフジテレビ時代の上司で当時解説委員を務めていた和田圭氏(65)と結婚。同年11月に長女が誕生したが、06年に「夫婦だったけど上司だった」との理由で離婚した。長女の親権は有賀さんが持ち、入院するまで2人で都内で暮らしていた。最期まで長女の将来を心配していたという。

 2年前に妻に先立たれ、最愛の娘も失った洋さんは、有賀さんの幼少期に3年間暮らしたニューヨークでの生活を一番の思い出に挙げ、「彼女の後半の人生に多大な影響を与えた」と涙を見せた。「常に前向きで、独立独歩の彼女らしい人生だった。本人に代わって厚く御礼申し上げます」と頭を下げた。

 ◆有賀 さつき(ありが・さつき)1965年9月9日、東京都生まれ。フェリス女学院大卒業後の88年にアナウンサーとしてフジテレビ入社。「F1グランプリ」のリポーターや「スーパーニュース」を担当し、92年10月退社。2002年3月に同局解説委員の和田圭さんと結婚し、同11月に女児を出産。近年は特技の漢字や英語を生かし、クイズ番組などで活躍していた。

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