【週刊・吉永小百合】本気の「拍手」「準備」 自在の「気」

スポーツ報知
オーラ全開だった「キタデミー賞」での吉永小百合

 吉永小百合を取材していると「本気」とは何だろう、と思う。意外なところで発見するのだが、印象に残った2つを挙げてみる。まず拍手の仕方に特徴がある。小刻みにとても早い。自分がふだん無意識にする動きの1・5倍くらいの速さで、最初に見たとき、目がくぎ付けになった。

 同時に“真剣な拍手”をしたことがあったか、自問自答する。似たスピードで試してみた。明らかにやったことのない速度。いかに気の抜けた惰性の拍手をしていたかを反省した。いつ見てもきっちりした拍手の作法だ。

 もうひとつは4年前の「ふしぎな岬の物語」の撮影。笑福亭鶴瓶とのキャッチボールシーンがあった。吉永と言えば、埼玉西武ライオンズのファンで94年には始球式で投げたこともある。映画はわずかなシーン。「ちょっと練習に行ってきます」と言うと「300球投げました」とケロリ。自慢でなく、それくらいの準備は当然という考えのようだ。相手を務めた関係者が肩を壊し、鶴瓶から「やり過ぎでっせ」と突っ込まれていた。

 これ以上に驚いたのが本番前の練習で吉永がボールを後逸したとき。てっきりスタッフが取りに行くものと思ったら、猛ダッシュでボールを取りに走っていた。誰かに取ってきてもらおう、という考えがない。その疾走ぶりは、外野手が打球を全力で追う姿とダブった。

 公の場に姿を見せるとき、この“本気気質”に気合が加わり、オーラ全開となる。これは、本人をそばで見てきた映画会社の多くの宣伝担当とも見方は一致するのだが、「オーラをびんびんに出すときもあれば、消すこともできる」という離れ業を持っていることだ。

 普通、オーラはその人が常にまとっているもの、と思われがち。しかし、吉永は自力でオーラの出し入れをコントロールする。オフのときはオーラが消えている。

 品川駅と五反田駅で遭遇したことがある。全然目立たず、行き交う人々は誰も気づかない。それは見事なくらいだった。おそらく本当の素顔はこちらなのだろう。10代から仕事で責務を果たす状況に追い込まれるたび、自分で「気」を注入。ものすごいエネルギーがいるだろうが、これをずっと繰り返してきたのだ。

 今月5日、北海道・札幌でキタデミー賞授賞式で見たレッドカーペットでの姿。近年見た中ではオーラMAXで、雪の効果もあって後光が差すようなまぶしさだった。それにしても、同じ人物と思えないこの“落差”は忍者のよう。この驚きに接するたび、自分はどこまで気合を入れて生きているのか?と考えさせられる。(編集委員・内野 小百美)

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