左とん平さん、死去 闘病9か月復帰叶わず

2018年2月26日6時0分  スポーツ報知
  • 優しくほほ笑む左とん平さん(1990年12月撮影)

 1970年代の人気ドラマ「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」(ともにTBS)を始め、映画や舞台に名バイプレーヤーとして活躍した俳優・左とん平(ひだり・とんぺい、本名、肥田木通弘=ひだき・みちひろ)さんが24日、午後3時57分、心不全のため都内の病院で死去した。80歳。左さんは昨年6月に急性心筋梗塞の手術を受け9か月間、闘病を続けていた。家族葬を営み、後日お別れの会を開く。

 大杉さんに続き、また一人、味わいある俳優がこの世を去った。左さんは昨年6月、急性心筋梗塞で倒れた。緊急手術を受け、集中治療室に入っていた。一時は退院のメドがつくほど快方に向かったが、その後、誤嚥性肺炎を繰り返した。酸素呼吸器をつけ、会話はできなかったが、目で合図を取れる状態だった。1月に入って一進一退の状態が続いたが、復帰への執念はすさまじく、病院関係者が「考えられない」と驚くほどの生命力だった。

 関係者によると、24日午後2時半頃、病院から事務所関係者に「心不全を起こした」と連絡が入った。家族らが病院に到着する前に息を引き取ったという。左さんの妻・仁美さん(81)は25日、左さんの事務所を通じて「最期は穏やかな顔でしたし、スーッと逝ったんだと思います。怒ったりすることもなく、本当に優しい人でした。ゴルフが大好きで、あまり家でじっとしてる人ではなかったです」とコメントした。

 24日午後6時半頃、左さんの遺体は仁美さんの意向で都内の自宅へ戻り、2階の寝室で一晩を過ごした。楽屋のれんを布団の上に敷き、愛用のサングラスが祭壇に置かれた。親族や友人が駆けつける中、安らかな表情で眠っていたという。

 3人兄弟の末っ子として生まれた左さん。世田谷高(現世田谷学園)時代に俳優学校に通ってコメディアンを志した。芸能界デビューは、三木のり平さんらを育てた演出家の三木鶏郎(とりろう)さんのマネジャー・野坂昭如さんと知り合ったことがきっかけ。70年代にTBS系ドラマ「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」で人気となった。バラエティー番組で発した「ヘイ・ユー! ホワッチャアネーム?」が一世を風靡(ふうび)し、それに付随した曲「とん平のヘイ・ユウ・ブルース」もヒット。賭博容疑で数度の逮捕歴もあるが、卓越した演技力でカムバック。とぼけた雰囲気を持ち味にコミカルもシリアスもこなした。

 左さんと30年以上ともに活動した所属事務所の嶋田博社長は「『仕事やりたい?』と聞くとうなずいたり、復帰に向けて頑張ってました。暇な時でも忙しい時でも不満を言わなかった」としのんだ。親族のみで密葬を行う予定だが、葬儀は左さんが長年CM出演する「さがみ典礼」が請け負う。3月中にお別れの会を開く予定という。

 ◆左 とん平(ひだり・とんぺい)本名・肥田木通弘。1937年5月30日、東京・王子生まれ。高校卒業後は家業のすし店を手伝っていたが57年、三木鶏郎さんの「冗談工房」に参加し、コメディアンに。主な出演作にドラマ「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」「ムー一族」「西遊記2」「監察医・室生亜季子」、映画「居酒屋兆治」「楢山節考」、舞台は「売らいでか!」など。昨年も出演予定だったが、休演していた。芸名は鶏郎さん行きつけのトンカツ店「とん平」が由来。

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