北島三郎、51歳次男の孤独死に号泣「忘れない…。お前も忘れないでくれ」

スポーツ報知
ロック歌手としてデビューステージに立った大野誠さん(右)と父の北島(1988年8月)

 演歌歌手の北島三郎(81)の次男で、元ミュージシャンの大野誠さんが東京・調布市の自宅で亡くなっていたことが7日、分かった。51歳だった。調布署によると、大野さんは3日に遺体で発見された。外傷はなく、病死とみられる。大野さんは「大地土子(だいち・とこ)」名義で作詞・作曲家として活動し、北島ら所属事務所の歌手の楽曲の著作権を管理する「北島音楽出版」の常務を務めた。自身の歌手活動を献身的に支えてきた息子の突然の訃報に、北島のショックは計り知れない。

 訃報が明らかになったのを受けて、北島はこの日夜、都内のホテルで約18分間取材に応じた。報道陣約60人を前に「大事な、大好きなかわいい我が子が先に旅立ってつらいです。息子であり、私の良き相方でした」と涙ぐんだ。「正直言って、寂しい。つらい…。忘れない…。そう思ったから、お前も忘れないでくれ」。声を詰まらせながら天国の愛息へと呼び掛けた。

 北島の長男で北島音楽事務所社長の大野竜氏(54)によると、「本人と連絡が取れない」と3日午後9時頃に大野さんの自宅を訪れた竜氏と署員が、衣服を身に着けたままの状態で室内で倒れている大野さんを発見し、死亡が確認された。玄関の鍵は施錠され、荒らされた形跡はなかった。死因は心不全で、死後数日以上が経過していた。

 大野さんは独身で、調布市の自宅兼事務所で一人暮らしをして音楽創作に励んでいた。昨年から肝臓の不調などを訴えていたという。大野さんの遺体は病院で検視が行われた。北島は6日に都内の斎場で遺体と対面し、号泣したという。通夜はこの日、都内で親族のみで営まれた。8日に告別式を行い、後日、お別れの会を開く。

 大野さんは5人きょうだいの上から2番目。北島ら事務所所属歌手の楽曲の企画制作・著作権管理などを行う「北島音楽出版」の常務取締役を務めた。楽曲制作や公演など北島の歌手活動を裏方として支え、父からも熱い信頼を寄せられた。

 1988年にロックバンド「1st BLOOD」のボーカル「MAKOTO」としてデビューし、歌手としても活動。その後は「大地土子」名義で作詞・作曲活動に励み、NHK・Eテレの人気アニメ「おじゃる丸」のオープニング曲で北島が歌う「詠人」「夢人」を手掛けた。北島は「僕たちが考えられないセンスを持っていた。未発表の曲があるので、世に出してあげたい」と前を向いた。

 北島は、14年に実弟で北島音楽事務所常務の大野拓克(ひろかつ)さん(享年67)を肝臓がんで亡くしている。「弟に『誠が逝ったから、あと、やってくれ』と話した。正直寂しいけど、ありがとうと誠に言いたい」と声を絞り出した。

 ◆大野 誠(おおの・まこと)1966年5月9日、東京都中野区生まれ。歌手・北島三郎の次男で、「北島音楽出版」の役員を務めた。88年にロックバンド「1st BLOOD」のボーカル「MAKOTO」として「American Dream」でデビュー。その後は「大地土子」名義で作詞・作曲活動に励み、北島や原田悠里、北山たけしらに楽曲を提供した。

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