ニッポン放送名物アナ・師岡さん、早期退社で「プロ野球ニュース」テレビデビュー!

スポーツ報知
ヤンキース・松井の本拠地デビュー満塁弾も実況した(左が師岡正雄アナウンサー)

 ニッポン放送のプロ野球中継でおなじみの師岡正雄アナウンサー(58)が1月31日付で同社を退社し、フリーとして新たな一歩を踏み出した。プロ野球にとどまらず、米国でヤンキース・松井の“本拠地デビュー満塁弾”やワールド・ベースボール・クラシック(WBC)連覇、サッカーW杯最終予選「ドーハの悲劇」「ジョホールバルの歓喜」など数々の歴史的な瞬間を伝えてきたベテラン。35年間の濃密なスポーツアナ人生を振り返り、今後への思いを語った。

 アナウンサーとしてのキャリアをスタートさせた九州朝日放送を10年の節目で退社し、ニッポン放送に移籍したのが93年3月。それから約25年。師岡さんは再び節目の年に新しいスタートを切ることを決めた。

 「もう1回、人生でチャレンジしたいなと思って早期退職を決めました。チャレンジするなら早い方がいいかなと」

 退社後も同局中心の活動は変わらない。ニッポン放送と年間契約を結び、「ショウアップナイター」の実況、リポーターを担当するが、新たに4月からCS放送フジテレビONE「プロ野球ニュース」で“テレビ・デビュー”することが決まっている。

 「会社には寛大な対応をしていただいて感謝しています。スポーツの仕事を基本に、それ以外の仕事もできたらありがたいなと。ナレーションの仕事や趣味のゴルフ番組などもやってみたい。イベントの司会などでいろんな人と知り合うのも視野が広がるし、徐々に仕事の幅を広げていければと思っています」

スポーツ漬け 学生時代に野球、サッカーをやっていたこともあり、スポーツアナを志した。全国を舞台にしたい、と移籍した同局では開幕したばかりのJリーグ中継を任されるなど1年目から活躍。プロ野球を軸に、サッカー日本代表の試合も担当し「ドーハの悲劇」(93年米国W杯最終予選、日本・イラク戦)、「ジョホールバルの歓喜」(97年フランスW杯最終予選、日本・イラン戦)を現地で実況した。大魔神・佐々木、イチローのいたマリナーズ、ヤンキース・松井担当として米国に長期滞在して中継、リポートも。06、09年WBC連覇や五輪など数多くの歴史的場面に立ち会った。

 「おかげさまで、いろいろとやらせていただきました。印象に残っている実況の順位をつけるとしたら、3位にジョホールバル、2位に06年のWBC。あの時、日本は敗退濃厚になったんですが【注】、米国・メキシコ戦を見に行ったら、おやおや、という展開になって。もしかしたら、と急きょ中継を始めたんです。メキシコが勝った瞬間、『グラシアス、メヒコ!(スペイン語で“ありがとう、メキシコ”)。今夜はみなさん、タコスを食べましょう』と出た。それで世界一ですから。初めての大会だったし、劇的で感動がありましたよね。急きょ中継とか、ニッポン放送にはそういう柔軟性があるんです」

 1位は03年4月8日、ヤンキース・松井が本拠地デビュー戦で放った満塁弾だ。

 「まさか打つとは思わなかったですから。打った瞬間、立ち上がってしゃべってました。あの頃は毎日、松井が打とうが打つまいが1日4回ぐらい番組内でリポートしていました。でも、時差があってキツい。最後のリポートは夜中の2時ぐらい。慣れてきた頃は軽く飲みながらやってました(笑い)」

 00年のシドニー五輪では高橋尚子のマラソン金の瞬間を実況した。

 「あの時はフィニッシュの実況担当でした。緊張しましたね。日本女子初でしたから。無我夢中で『シドニーの日差しを背中に受けて金メダルのフィニッシュ!』みたいなことを言った記憶があります。実況アナは2時間ぐらいしゃべってるのに一番おいしいところを頂きました」

 実況アナだけが味わえる感動がある。

 「やっぱり“そういう場”に立ち会えてしゃべれることは実況アナ冥利に尽きますね。やっててよかった、と。その場にいさせていただいたことに感謝です」

 野球実況で心掛けていることとは。

 「中継に向けての準備はしても、それを半分も出したら中継自体が面白くない。メインはやっぱり現場です。実況プラス情景描写。ラジオは全てを言葉で伝えなくてはいけないので、表現力も問われます。言われ続けているのは『投げた』が遅れると『打った』も遅れるということ。得点とイニングも大事。ラジオではアナウンサーが言わない限り分からない。だから、どこ対どこ、何球場、得点、イニングは常に頭に入れています」

 満足した日はない。

 「100%、うまくできたという日はほとんどない。満足できた中継なんて本当に少ないですね。あそこでどうしてこのことを言えなかったのかなとか、小さな言い間違いが頭に残ったり。反省の連続です。大先輩の(元ニッポン放送アナウンサー)深沢弘さんにも『満足する試合なんか絶対ない。そう思ったらダメだ』と言われてきました。確かにそう。満足したらそこから先に行かない。やっぱり謙虚な姿勢を持たないと」

 忘れられない失敗がある。シドニー五輪の閉会式。オーストラリアの先住民アボリジニが上半身裸、下半身“みの”姿で入場した際、「アボリジニの皆さんが下半身丸裸で登場です」とやった。

 「いまだに言われますからね。あれは最初、45分間だけ放送するって話だったんですが、1時間以上たっても終わりが来ない。ディレクターも『指示が来ないのでお願いします』と。緊張感がなくなってたんでしょうね。ゲストの谷口浩美さんに『下半身はまずいですよ』と言われて慌てて言い直しました(苦笑)」

 今季、TBSラジオが野球中継から撤退。ラジオ中継の良さを改めて伝えていきたい、と思っている。

 「テレビ中継が終わった後には必ずラジオをつけていたし、ラジオ中継には子供の頃からすごく愛着がある。ラジオの野球中継は『文化』だと思うんです。その文化を途絶えさせちゃいけないし、活発にしなきゃいけないという使命感がありますね。もっと多くの人に聞いてもらいたい。そのために全力で頑張っていこうと。僕自身もより力をつけて実況をやっていきたいと思ってますし、他のお仕事も頑張りたい。まだまだこれから。道半ばです」(取材・田中 俊光)

 【注】米国での第2ラウンド。日本は韓国に敗れて2敗目を喫し、準決勝進出は絶望的になった。しかし、米国がメキシコに1―2で敗れたことにより、当該チーム間の失点率の差で日本が奇跡的に準決勝進出。準決勝で韓国、決勝でキューバを破り初代王者になった。

 ◆師岡 正雄(もろおか・まさお)1960年2月15日生まれ。58歳。東京都出身。明治学院大卒業後の82年、九州朝日放送に入社。ラグビー、マラソンなどの実況や深夜番組のパーソナリティーを務め、89年からは本拠地移転したダイエー(現ソフトバンク)戦の実況も担当。93年ニッポン放送入社。編成局スポーツ部担当副部長を経て1月31日付で退社。

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