宮崎駿監督、高畑勲さんのお別れの会で涙 7度声詰まる 

2018年5月16日5時0分  スポーツ報知
  • 涙ぐみ、何度も言葉を詰まらせた宮崎監督(後方はスタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサー)
  • 草花で飾られた遺影に向かって語りかけた宮崎駿監督

 「火垂るの墓」「おもひでぽろぽろ」などの作品で知られるアニメーション映画監督で、4月5日に肺がんのため死去した高畑勲さん(享年82)のお別れの会が15日、東京・三鷹の森ジブリ美術館で営まれ、約3200人が参会した。スタジオジブリを共に設立するなど、半世紀以上の盟友だった宮崎駿監督(77)は、涙で何度も声を詰まらせながら追悼の言葉を捧(ささ)げた。

 いくつもの思い出は涙へと変わり、巨匠の瞳からぽろぽろとこぼれた。

 開会の辞でマイクに向かった宮崎監督は、追悼の言葉を捧げた約9分間に7度も声を詰まらせた。

 「1963年、パクさん(高畑さんの愛称)が27歳、僕が22歳の時、僕らは初めて出会いました。たそがれ時のバス停で僕は練馬行きのバスを待っていた。雨上がりの水たまりが残る通りを、穏やかで賢そうな青年が近づいてきた…」

 2人が駆け出しのアニメーターだった頃に製作した映画「太陽の王子 ホルスの大冒険」(68年)当時の記憶を語るにつれ、声が震えた。米アカデミー賞授賞式でも自らの引退会見でも淡々とした姿を崩さなかった男は盟友の遺影を前にして、こらえきれなくなった。

 「パクさん、僕らはあの時、精いっぱい生きたのだ。ひざを折らなかったパクさんの姿勢は僕らのものだったんだ。ありがとう、パクさん。55年前、あの雨上がりのバス停で声を掛けてくれたパクさんのことを忘れない」

 宮崎監督の「野に咲く花たちで囲みたい」という希望で、笑顔を浮かべた遺影は色とりどりの草花で飾られた。美術館内には、紅花摘みのシーンが描かれる代表作「おもひでぽろぽろ」にちなんで紅花が飾られた他、2015年に贈られたフランス芸術文化勲章、数々の写真などが展示された。約1200人の関係者が別れを告げた後、2000人ものファンが列を成した。

 宮崎監督にとっては、東映動画時代から現在のスタジオジブリまで、半世紀を超える盟友だった。アニメに対する考え方は異なり、衝突することで刺激し合うライバルでもあった。

 開会の辞を終えて着席し、涙を拭った宮崎監督は、隣席の鈴木敏夫プロデューサー(69)に「みっともなかったですね」と語り掛けた。もう一人の盟友は「そんなことないです。すごく良かった」と感謝した。

 ◆平家物語を…鈴木P惜しむ

 5本の高畑作品を手掛けたスタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーは「会って話をする時の緊張感は40年続きました。『じゃりン子チエ』(1981年放送のアニメ)の頃から、毎日のように相談してきたことがプロデューサーとしての経験になった。もう一本『平家物語』をできないかと話していたのに、実現できなかった」と惜しんだ。

 二人三脚で作品を生み出していった日々を回想し「タヌキとキツネの化かし合いですよ。監督とプロデューサーは敵対しないと作品はできない。1回も褒めてくれなかった」。この日のお別れの会が最後のプロデュースとなった。「高畑さんはこの美術館が好きでしたから、これからもウロウロして往生しないんじゃないですかね」

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