【武藤敬司、さよならムーンサルトプレス〈16〉真っ赤なタイツで鮮烈な凱旋帰国、1990年4月27日、東京ベイNKホール】

スポーツ報知
武藤敬司

 1990年4月27日。武藤敬司は、新日本プロレスの東京ベイNKホールのリングに立った。88年に2度目の海外遠征へ出てから約2年ぶりの本格凱旋。試合は、メインイベントで蝶野正洋と組んでマサ斎藤、橋本真也が持つIWGPタッグ王座への挑戦だった。

 「あの試合前は、内心は不安でいっぱいでしたよ。前にも言ったけど、実績を作ったって言ってもそれは、米国での話であって。日本ではどうなるのか、自分に自信を持てなかったからね」

 新テーマソング「HOLD OUT」が鳴り響き、Tシャツに真っ赤なタイツを身につけた武藤が花道に姿を見せた瞬間、不安を打ち消すように会場は一気にヒートした。

 「それまでの新日本でTシャツで入場する選手は、そんなにいなかったから新鮮に映ったかもしれないね。オレとしては、シンプルなアメリカンスタイルのベビーフェイスの格好をイメージしていた」

 凱旋帰国に備えタイツは、赤とオレンジの2枚を用意していた。前座時代の黒のショートタイツ、スペースローンウルフ時代の青のロングタイツ。これまでのイメージを一新する鮮烈な赤。アントニオ猪木から藤波辰爾、長州力、前田日明らそれまで新日本を支えるメインイベンターは、すべて黒を継承していた。

 「オレにとって、あの昔の新日本の黒イズムはそんなに好きじゃなかった。だって、新日本の中で黒は普通じゃないですか。当時は、あの黒がみんなの学生服みたいなもんだったからね。レスラーである以上、目立とう精神とか、他のレスラーより浮いていかないと存在意味がないからね」

 猪木イズムからの卒業あるいは進化。いずれにしてもあの赤のショートタイツには、米国でトップを張った武藤の強烈な自己主張の表れだったのだ。入場時もガウンが主流だったが、Tシャツを選択した。新しい風景が新日本のリングに一瞬で広がった。

 「試合前は不安だったけど、リングに上がったらそんなこと言ってられないからね」

 フラッシング・エルボー、ギロチンドロップ…躍動感と目にも止まらないスピードあふれる武藤の技にファンは、くぎ付けになった。

 「オレの中では、あの試合は米国で培ったスタイルをお披露目しただけなんだよ」

 フィニッシュは、やはりムーンサルトプレスだった。マサ斎藤に炸裂した月面水爆は、これまでよりも速く重く、そして華麗な舞いだった。

 「オレの中では、ムーンサルトプレスは、ヤングライオンの時からスペース・ローン・ウルフ時代、ムタと出し方を変えているつもりはないよ。すべて同じなんだ」

 当時の新日本は、猪木が参議院議員となり第一線を引き、坂口征二が引退。さらに藤波辰爾が腰の負傷で長期欠場中と停滞していた。加えて、長州力の顔面を蹴って追放された前田日明が88年5月に旗揚げした新生UWFが大ブレイク。新日本のファンは新たなスターを渇望していた。そこに武藤がこれまでの新日本のイメージを打ち破る鮮烈な赤と衝撃のムーンサルトで出現。同時にこの試合は、闘魂三銃士の3人が揃った初のメインイベントだった。すべてにおいて新時代の到来を感じさせるパフォーマンスはファンの心をわしづかみにした。大成功の凱旋帰国だったが、大きな落とし穴があった。

 「試合が始まってすぐ、橋本にローリングソバットをやったんだけど、着地の時に左膝を痛めてさ。あの試合後、何試合か休んだんだよ」

 新たなケガとの戦いの始まりだった。(敬称略)

格闘技

×