【武藤敬司、さよならムーンサルトプレス〈最終回〉プロレスとは人間力…新たな伝説の始まり】

スポーツ報知
武藤敬司、人生最後の月面水爆

 武藤敬司は、今年3月30日、都内の病院で両膝の人工関節置手術を行った。これからもプロレスを続けるための決断だった。そして、ムーンサルトプレスと、永遠の「さよなら」を告げた。

 「今は、昔の信用だけでやっている。進化していることは何ひとつないよ。その中でもムーンサルトはお客様の信用を勝ち取った技だった。言えることは、どっかしらムーンサルトプレスってはかないんだよ。膝が悪いってお客様も分かっているから、若干、見ている側もそんなはかなさも感じたりとかね。そうなると気持ちが食い込んでくる。ここ数年はそんな思いを感じていたよ」

 デビューからわずか1年での海外遠征。スペース・ローンウルフ時代の苦闘。グレート・ムタで全米を席巻したWCW。鮮烈な凱旋帰国。高田延彦との伝説マッチ。空前のブームを作ったnWo。スキンヘッドへの変貌。全日本プロレス…。そして、今。武藤が残したすべての作品にムーンサルトプレスがあった。

 「ムーンサルトプレスがあるから自分がある。まさしくそう思う。最初から4の字固めとシャイニングウィザードだったらプロレスラーとしてここまで来なかった」

 一方でムーンサルトプレスの代償で膝は、日常生活にも支障を来すほど壊れてしまった。歩くには杖が必要となっていることが現実だ。

 「自宅では家族みんなに助けてもらいながら暮らしていますよ。家は3階建てなんだけど、もう3階も2階もいったことないよ(笑い)。外出する時は、空港は楽でいいんだ。ハンデキャップの設備が充実しているから車いすがある。大変なのは東京駅。ホームまで長いからね。一生懸命歩いていますよ」

 現在、55歳。気がつけば師匠アントニオ猪木が引退した時の年齢に達した。もはや華麗に飛ぶことはできない。ただ、だからこそ出せる輝きがあるという。

 「今、オカダ(カズチカ)が、ドロップキックとかやっているけど、レスラーって飛べなくなってからが面白いんだよ。ごまかしが面白ぇんだ。どうごまかすかっていうね。飛べなくなってくると味が出てくるんだよ。ただ、言えることは、その味を出すには、お客さんにそこまでの信用を得ないといけないんだけどね」

 武藤が図らずも口にした「ごまかし」。それは、数々の記憶を観客に刻み込んできた者だけが許される匠の技ではないか。「ごまかし」とは、武藤だけが言えるプライドの表れだ。

 「プロレスって難しいよ。これだけは教えられるものじゃない。今まで後輩を何人も育てたし、誰にでも一定の所まで教えたけど、最終的にはその人が持っている人間力なんだよ」

 そして、こう言った。 「もし、膝さえ良かったら、例えば世界中のどこかプロレスの予備知識がないまったくない場所へ行ってね。そこで、プロレスやった時、そこにいる人たちに“誰だ!こいつは”って言わせる自信は一番あるよ。“なんだ、こいつは!”ってね。そういう能力は若い頃から長けていたからね」

 地球上のどこへ行こうと一瞬で人の心をわしづかみにする自信。武藤敬司が武藤敬司たる由縁を見せつけられた言葉だった。プロレスの神に選ばれた男。それが武藤敬司の真実だった。ただ、次に観客の心を揺さぶるまでには、しばらく時間が必要になる。今年でデビュー34年。今、経験のない長期欠場に入った。

 「新生武藤は…分からないな。プロレスって試合を見ても分かるけど、相手の技を耐え忍ぶ時が必ずある。さしあたって、今からそこに陥ることになる。多分、すごいしんどい気がするんだよ。それを越えたらゆっくり考えるよ。戻ってきた時、ムーンサルトプレスをやるかって?それは、しないよ。絶対にしない」

 月面水爆は永遠に見られない。それでも、類い希な「人間力」を持つ武藤ならきっと、これからも、そんな喪失感、寂しさを凌駕するサプライズを与えてくれるだろう。「さよならムーンサルトプレス」。それは、新たな武藤伝説が始まるメッセージだ。(終わり。敬称略。取材・構成=福留 崇広)

格闘技

×