谷津嘉章が長州力を呼び捨て!? ジャパンプロレスとは何だったか…金曜8時のプロレスコラム

スポーツ報知
「Gスピリッツ」のジャパンプロレス特集を紹介する小佐野景浩さん。表紙は長州&谷津

 ジャパンプロレスを知っているだろうか。長州力が新日本プロレスの維新軍団を発展させて、全日本プロレスと夢の対抗戦を行うべく1984年に設立された団体。87年に長州が新日本にUターンしたことで、わずか2年4か月で空中分解した。全日本のジャイアント馬場を喜ばせ、そして怒らせた“バブル団体”。

 このジャパンプロレスをプロレス専門誌「ゴング」(休刊)の流れをくむ「Gスピリッツ」の最新号vol.47(辰巳出版、1148円+税)が特集している。メインライターは元「週刊ゴング」編集長の“熱血プロレスティーチャー”こと小佐野景浩氏(56)。これまで唯一と言っていいほどのジャパン本「昭和プロレス維新」(2000年、日本スポーツ出版社)の著者だから、決定版だ。

 表紙は長州力と谷津嘉章。ジャンボ鶴田&天龍源一郎の鶴龍コンビから奪取した、インタータッグを肩に下げている。後ろにキラー・カーンと永源遥が写っているのが興味深い。証言者として登場するレスラーは、巻頭に谷津嘉章、小林邦昭、栗栖正伸、保永昇男、馳浩。会長の竹田勝司氏、初代社長(後に長州に禅譲)の大塚直樹氏。そして番記者の小佐野氏と元デイリースポーツの宮本久夫氏が登場している。

 ジャパンを捨てて新日本に戻った立場の長州は登場しない。長州に従わず、全日本に残り、軟着陸でジャパンを終わらせた谷津が大いに語っている。

 「あの時代に俺たちがジャパンとして全日本に上がったことで、馬場傘下に隠れてポワーンとしていた連中が目の色を変えてプロレスをやってたよ」「その遺伝子が天龍さんから四天王プロレス、そして三沢のノアに続くわけでしょ」「ジャパンプロレスの遺伝子は、ずっとノアまで行き着いているんだよな」

 ジャパンプロレスは大阪城ホールを主戦場にしていた。城ホールの近くの高校に通っていた私は、85年の長州VS天龍(2・21)、長州VSハンセン(5・13)、長州VS谷津(8・5)、長州VS鶴田(11・4)を生観戦して熱くなっていた。

 気になったのは、インタビューで谷津が長州を呼び捨てにしていること。「輪島さんが来たことで、長州の全日本での息が短くなっちゃったんだ」「永源さんはどっぷり馬場さんにくっ付いてるじゃん。長州は面白くないよね」マサ斎藤、アニマル浜口、寺西勇ら先輩には「さん」付け。いまだに飲み仲間のキラー・カーンは「カーンちゃん」(居酒屋の屋号が『カンちゃん』でもある)と呼んでいるが、長州は徹底して呼び捨てだ。

 ジャパンの後、長州と谷津は03年にWJ(ワールド・ジャパン)プロレスで再合流しているが、1年で崩壊し、また離反。2010年の谷津の引退試合に長州が来なかったことを悔しがったこともあったか…。いや、もう1人、谷津が呼び捨てにしているレスラーがいた。ジャンボ鶴田だ。天龍源一郎は「さん」付けなのにだ。

 ジャパン崩壊後に谷津は鶴田と五輪コンビを結成し、世界タッグ王者となった。長州と鶴田は谷津にとって、王者コンビだった同志。いわば夫婦のような存在による呼び捨てと理解しておきたい。小佐野氏は「馬場、猪木に逆らったら生きていけない時代に、団体ができること自体が大変なことでした。2年数か月でしたけど、そのエネルギーはすごく感じました」と言う。表紙の長州と谷津の輝いた表情。その後はいろいろあっただろうが、このまま時を封じ込めておきたいと思った。(酒井 隆之)

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