大雨の30周年記念試合で“最強のヒール”鈴木みのるに教えられた本当の優しさ

スポーツ報知
大雨の中のデビュー30周年記念試合でオカダ・カズチカと戦った鈴木みのる

 現在のプロレス界一のヒール(悪役)レスラーにとって、完全な営業妨害になるかも知れないが、あえて書く。「世界一、性格の悪い男」の異名を持つベテランレスラー・鈴木みのる(50)は一本筋の通った本当に「いい男」だと思う。

 23日、横浜市の赤レンガ倉庫イベント広場で行われた鈴木のデビュー30周年記念大会「大海賊祭」を取材した。朝から降り続くあいにくの雨の中、野外で行われた完全入場無料のメモリアルイベントのメインで鈴木は前IWGPヘビー級王者で今や新日本プロレス一の人気を誇るオカダ・カズチカ(30)と対戦した。

 17日に50歳になったばかりの鈴木がメモリアルイベントの舞台に選んだのは生まれ育った街・横浜。びしょ濡れになりながら自身の入場曲「風になれ」を歌うのは、鈴木が「俺に生きる希望を与えてくれた」という歌手・中村あゆみ(51)。中村のナマ歌をバックに、この日用に染めた銀髪に白のパンツで登場すると、“レインメーカー”オカダとバチバチの本気ファイトを展開した。

 掌底の連打に卍固め。ともに3度に渡ってダブルノックダウンの激闘。必殺のゴッチ式バイルドライバーの体勢にも入り、オカダをぎりぎりまで追い詰めたが、最後は30分時間切れドローのゴングが鳴り響いた。

 試合後もびしょ濡れの体でリングに横たわり、動けなかった両雄だったが、ここからが鈴木の真骨頂だった。オカダがフラフラの状態で引き揚げたのを、じっと見届けると、おもむろにマイクを握る。

 この日のリングサイド最前列には自身の希望で地元の子供たちがズラリ。1か月ほど前のこと。私が取材申請の電話をした際、偶然、電話口に出た鈴木本人に「カメラマンのスペースも用意したかったんだけど、今回は地元の子供たちを優先させて下さい」と言われた通りだった。

 一見、大きな体の大人同士がケンカしているようにも見える場外乱闘に泣き出す子供もいたが、鈴木は怖~い顔で一人一人を見つめると、こう言った。「(今日の試合が)惜しかったとか、良く頑張ったとか、そんなことはどうでもいい。勝って次に行かなきゃ意味ねえんだよ」とまず一言。続けて、「おい、クソガキども。世の中に出たら、勝ち続けなきゃ上に行けねえんだよ。俺が言いたいのはな。ガキども、世の中、そんなに甘くねえぞということだ。勝ち続けることだよ」と言い放った。

 さらに鋭い眼光はこちらにも―。「しょぼくれている中年ども。俺は先週、50になった。でも、俺は負けねえ。おまえら、指くわえてプロレス見ているだけだったら、俺が全部持っていくぞ!」と同世代の“おっさん”たちにもエール。この言葉は中年ど真ん中のこちらの心にもまっすぐに突き刺さった。

 続けて「俺は30(歳)のヤツにも20のヤツにも負けねえ」と、この日の相手、自身の新日本プロレス入門の年・87年に生まれたオカダを存分に意識した一言。そう、完璧に仕上がった体での、この日の鈴木のファイトは20歳年下でレスラーとして全盛期を迎えているオカダにも全く引けを取らないものだった。

 だからこそ、「IWGP(ヘビー級王座)? あれは俺が予約済みだ」という新日の最高峰のベルトを視野に入れた発言も、すんなり受け止められた。

 横浜高を卒業するまでの自身を作り上げた街・横浜の子供たちに、その未来のために贈ったストレートな「勝ち続けろ」エールこそ、鈴木の生き方そのもの。2011年8月には東日本大震災後の宮城・気仙沼市で非公開興行を開催。現在は昨年5月の試合中のアクシンデントで頸椎(けいつい)完全損傷の重症を負い、首から下が動かない状態の高山善廣(51)を支援する活動「TAKAYAMANIA」の中心となって奔走しているのが、この男だ。

 この日の試合前にも自身のツイッターで病床の高山からの「30周年興行出たかった」という手紙を紹介した上で「高山から手紙をもらった。ありがとう。がんばれ、がんばる、がんばろう」と、つぶやいていた鈴木。

 営業妨害かも知れないが、言ってしまおう。本当は「世界一、性格のいい男」は「おい、おい、祭はまだこれからだ。サンキュー」―。こちらも全員ずぶ濡れのファンたちに丁寧に頭を下げると、その顔を濡らしているのは雨なのか、涙なのか。全身ずぶ濡れの体を拭こうともせず、ヒールの顔で、胸を張って引き揚げていった。(記者コラム・中村 健吾)

 ◆鈴木みのる(すずき・みのる) 1968年6月17日・横浜市生まれ。50歳。横浜高時代、レスリング部に所属し、国体2位。87年3月、新日本プロレスに入門し、88年6月、飯塚孝之(現・飯塚高史)戦でデビュー。カール・ゴッチを師と仰ぎ、新生UWF、プロフェッショナルレスリング藤原組などを経て、93年9月、船木誠勝らとパンクラスを旗揚げ。03年6月、14年ぶりに新日マットに。プロレスリング・ノアや全日本プロレス参戦を経て、現在は新日を主戦場に。11年、鈴木軍を結成。同年8月、震災後の宮城・気仙沼市で非公開興行も開催した。異名は「世界一、性格の悪い男」。178センチ、102キロ。

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