【東京ドーム30年】東京ドーム第2号はクロマティ…記念すべき第1号は?

スポーツ報知
1988年4月9日付「報知新聞」3面

 日本初の全天候型多目的スタジアム、東京ドーム(東京・文京区後楽)が今年30周年を迎える。1988年3月17日にオープニングセレモニーが行われ、翌18日に巨人・阪神のオープン戦がこけら落としイベントとなった。今年の開幕戦は3月30日(巨人・阪神戦)だったが、30年前は4月8日だった。デーゲームとして巨人・ヤクルト戦、そしてナイトゲームで日本ハム・ロッテ戦が開催された。東京ドーム30年の歴史をスポーツ報知の紙面で振り返る。

 ◆1988年4月9日付3面

 巨人は記念すべき、東京ドーム開幕戦でヤクルトに2-4で敗れた。翌日付の報知新聞1面は「巨人 開幕異変」「桑田やられた」「中畑熱狂の快打も一瞬」「失策が失投が敗戦の呼び水」「逆転ヤクルト 平田執念のV打」とのあまり読みたくない見出しが並んだ。コピーライターの糸井重里さんの寄稿「厄払いの開幕」というのが、せめてものおなぐさみだ。

 勝敗を超えて活躍したGヒーローもいなかったことになる。3面には「同点もクロウ 残念弾」、「プレッシャーに負けた桑田 気負い空回り うつむく20歳」という見出し。6回に東京ドームでソロ本塁打を放ったクロマティと7回途中KOで敗戦投手となった桑田の写真が並ぶ。クロマティは何が残念かというと、記念すべき東京ドーム第1号にならなかったからだ。

 記念弾を放ったのは、ヤクルトのデシンセイだった。メジャーからやってきた“1億円助っ人”は、2回先頭での初打席で、桑田から左翼席へ弾丸ライナーを放ち、来日初アーチを記念すべきドーム1号として決めた。「とてもハッピーね」と喜んだ。

 巨人からのドーム第1号が期待できるデーゲームだったが、デシンセイにその夢は奪われてしまったのだった。2面には「デシンセイ ドーム1号 記念弾」「見せた1億円の底力」との見出しが躍った。3面のクロマティの写真には「6回1死からクロマティは同点1号アーチ。デシンセイを指さし『オレも打ったぜ』」との説明が。「怒った王監督」「目を細めて喜ぶ関根監督」と対照的な、30年前の東京ドーム開幕戦だった。(資料探偵・酒井 隆之)=随時配信=

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