【巨人】新外国人・クックと合意 守護神候補、昭和の“元祖”宮田と同じ「背番号24」

スポーツ報知
巨人対MLBオークランド・アスレチックス戦 6回から登板したアスレチックスの右腕・ライアン・クック(2012年3月25日、東京ドーム)

 巨人は29日、新外国人選手として調査していたライアン・クック投手(31)と来季の選手契約で合意に達したと発表した。年俸130万ドル(約1億4000万円)の単年契約。背番号は高橋由伸前監督が今季までつけていた「24」に内定。新守護神として期待がかかる右腕に原辰徳監督(60)は、かつて同番号を背負った「8時半の男」宮田征典氏(享年66)のように、終盤の相手の反撃を封じる役割を果たしてほしいと思いを込めた。

 残る懸案材料だった、抑えを任せ得る男の獲得が決まった。巨人はこの日、クローザー候補として調査を続けていたクックと、来季の選手契約で合意に達したと発表した。メジャーでは地区制覇こそあるが、リーグ優勝は未経験なだけに「巨人軍で勝利に貢献し、プロ生活で初めてのリーグ優勝を経験したいと思います」とハングリー精神を燃やした。

 最速150キロ超の直球に、右打者には鋭いスライダー、左打者にはツーシーム、チェンジアップを巧みに織り交ぜ、ねじ伏せる。16年10月に右肘のじん帯再建術(通称トミー・ジョン手術)を受け、今季マリナーズでメジャー復帰した。19試合で2勝1敗、防御率5・29だったが、登板17イニングを上回る23三振を奪い、奪三振率は12・2と高い数値を誇った。

 内定した背番号は「24」。高橋前監督が98年の入団から今季まで21年間背負ったように、近年では高橋前監督を始め、中畑清、大森剛といった強打者のイメージが強い番号だが、かつては宮田氏が62年から8年間背負ったように、名リリーバーの番号でもある。

 宮田氏は先発完投が当たり前の時代においては希少なリリーフ専門で活躍。試合終盤の決まった時間に登板したことから「8時半の男」の異名を取り、試合を締め続けた大投手だ。クックにも相手打線に絶望を与える「新・8時半の男」として、上原、沢村、吉川光、鍬原らと鉄壁の救援陣を―。「24」には原監督のそんな願いが込められた。

 実は巨人とも縁がある。アスレチックス時代の12年、日本開催となったマリナーズとのメジャー開幕戦のために来日したが、同年3月25日の巨人とのプレシーズンゲーム(東京D)で登板。6回から2番手で登板し、坂本勇を遊飛に仕留めるなど1回を無安打無失点に抑えていた。「まさか日本でプレーすることになるとは思いませんでした。日本の選手が礼儀正しく、練習熱心だったことが印象に残っています」と数奇な縁を喜んだ。

 ただ、首脳陣は勝利の方程式について現段階では白紙を強調している。抑えの有力候補ではあるが、クックといえども、その座を奪わなければいけない。ハイレベルな競争で、盤石な勝利の方程式を形成する。

 ◆ライアン・クック(RYAN COOK)1987年6月30日、米カリフォルニア州フレズノ生まれ。31歳。南カリフォルニア大からDバックスの27巡目(全体828位)でプロ入り。2011年にメジャー昇格し、同年オフにアスレチックス移籍。12年は初戦から22試合連続無失点をマーク、オールスター戦にも選出された。将来を嘱望されたが、その後、故障もあって低迷。今季5月17日にメジャーに3年ぶりに復帰。メジャー通算236試合で15勝13敗17セーブ、防御率3・58。188センチ、100キロ。右投右打。

 ◆「方程式」白紙 上原、沢村らと競争

 <巨人のリリーフ事情>今季は、開幕から上原、沢村、マシソン、カミネロの勝利の方程式「USA」を形成したが、不調や故障で全員が2軍降格を経験する異常事態に見舞われた。カミネロは今季限りで退団。8月にマシソンが、10月には上原がともに左膝の手術を受けるなど、現状に不透明な部分も残るため、来季の勝ちパターンは白紙の状況。上原、沢村、吉川光、鍬原、桜井などに加え、この日合意に達したクックらが候補となり、来春キャンプからオープン戦を通じて競争していく。

 ◆8時半の男とは 先発完投が当たり前で、日本ではセーブが公式記録ではなかった1965年、宮田征典がリリーフ投手の地位を確立し、日本プロ野球初の本格的な抑え専門投手に。同年はV9の初年度にあたり、リリーフ中心に69試合に登板、規定投球回もクリアしながら20勝(5敗)をマーク。リリーフで挙げた19勝は現在もセ・リーグ最多記録。現在のセーブ規定をあてはめれば、この年22セーブ(計41SP)となる計算になる。当時の場内アナウンス嬢が「宮田さんはいつも同じ時間に登場する」ともらしたのを聞いた本紙記者が「8時半の男」というニックネームをつけた。

 ◆巨人の歴代の背番号24

 62~69年までリリーフエースを務めた宮田征典が背負い、76~89年まで中畑清、90~94年まで大森剛、95~96年まで石毛博史、97年はカステヤーノ・ペドロ、98年からは高橋由伸がつけるなど主に強打者が背負ってきた。

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