【日本ダービー】福永騎手男泣き 19回目の挑戦で親子二代の悲願ダービージョッキー!ワグネリアン世代の頂点!

スポーツ報知
ゴール前の際どい叩き合いを制したワグネリアン(左から3頭目)

◆第85回日本ダービー・G1(5月27日・芝2400メートル、東京競馬場、良)

 6955頭の頂点を決める第85回日本ダービー・G1は27日、東京競馬場で行われ、5番人気のワグネリアンがゴール手前で差し切り勝ち。福永祐一騎手(41)=栗東・フリー=が19回目の挑戦で悲願のタイトルを奪取した。2着には4番人気の皐月賞馬エポカドーロ、3着には16番人気のコズミックフォースが続き、3連単はダービー史上最高配当額となる285万円を超える大波乱の決着となった。1番人気のダノンプレミアムは6着に沈んだ。

 ついにつかんだ。ワグネリアンとのウィニングラン。福永は笑い泣きで顔をくしゃくしゃにして喜びをかみ締めた。初出場から20年。19度目のチャレンジで、ダービージョッキーの称号を手にした。「何だかフワフワした感じ。初めての気分です」。夢をかなえた41歳は検量室前で出迎えた友道調教師の胸で、また男泣きした。

 皐月賞は1番人気で7着に敗れた。次こそ悔いの残らない騎乗を―。17番枠から大胆な勝負に出た。「外枠に決まり(勝たせるための)選択肢が二択くらいになったので腹をくくれました」。序盤でポジションを取りに行くと、1コーナーでは5番手。折り合いを欠くリスクもお構いなしに、定番だった後方待機策から一転、正攻法で挑んだ。

 勝負どころでの冷静さも光った。インに人気を分け合う無敗馬2頭を確認。「外に出す隙を与えないように」とライバルを封じ込めた。「最後は(自分の)デビュー戦より無我夢中でした」。残り50メートルで粘る皐月賞馬をかわした。

 昨年まで18戦未勝利。年を重ねるたび、悔しい思いや悩み、無力感は増していた。「このまま勝てないんじゃないかとか、調教師になって勝つしかないなとか考えました。勝ってみて、やっぱり特別なレースなんだなと。ジョッキーをやっていて良かったです」。JRA通算2091勝のうちのたった1勝が、全てを吹き飛ばした。

 親子二代の悲願も成就させた。「オヤジが一番勝ちたかったのがダービーというのは知っていました」。父は天才と呼ばれた元騎手の洋一さん。落馬事故で引退する30歳まで、ダービーは7度騎乗。78年カンパーリの3着が最高だった。「志半ばだったオヤジがこの景色をずっと見たかったんだなと思うと…」と声を詰まらせたユーイチは「代わりに目に焼き付けておきます。やっと息子として誇れる仕事ができました」と胸を張り、大観衆を真っすぐ見つめた。

 デビューから手綱を執るパートナーと勝ち取った平成最後の3歳馬の頂点。6月上旬に誕生予定の第2子には、ダービージョッキーの父として対面することになる。「意識していましたし、名誉なこと。新しい元号になっても勝てるよう、精進していきます」。競馬界屈指の人気者は、早くも“元年”での連覇を見据えた。(吉村 達)

 ◆福永 祐一(ふくなが・ゆういち)1976年12月9日、滋賀県生まれ。41歳。父・洋一の夢を追いかけて96年に北橋修二厩舎から騎手デビュー。同年53勝で最多勝利新人騎手。JRA・G1は99年桜花賞(プリモディーネ)で初制覇を飾った。海外G1は5勝。JRA通算は2091勝。妻は元フジテレビアナウンサーの翠さん。

 ◆福永 洋一(ふくなが・よういち)1948年12月18日、高知県生まれ。69歳。68年に武田文吾厩舎所属で騎手デビュー。3年目の70年から9年連続で、全国リーディングを獲得。77年には126勝をマークし、野平祐二騎手の持つ年間最多勝記録を19年ぶりに塗り替えた。71年の菊花賞(ニホンピロムーテー)をはじめ、G1級レース9勝、重賞49勝を挙げた「元祖・天才」。79年3月の毎日杯(マリージョーイ)で落馬し、脳挫傷などの重傷を負って引退した。通算5086戦983勝。

【樹理が見た】雑音シャットアウトし例年より身軽に

 「悲願のダービー」。福永は常にこの言葉に縛られ続けてきた。ダービー初騎乗となった98年のキングヘイローは皐月賞2着、天才騎手・福永洋一の息子としても話題を集め、報道が過熱。「毎日毎日、ダービーのことを考えていたら熱発してしまった」。2番人気ながら14着の大敗。デビュー3年目で大役を果たせず、レース後の表情は真っ青だったという。

 12年ワールドエース(1番人気4着)、13年エピファネイア(3番人気2着)、15年リアルスティール(2番人気4着)。ここ最近は毎年のように有力候補の依頼を受け、当然取材が殺到。張りつめた緊張感が伝わってきていたが、今年は少し様子が違った。

 オファーのあったテレビ番組や雑誌などへの露出をあえて控え、雑音をシャットアウト。この一戦に集中するため、重圧に縛られないようにしていたのかもしれない。例年より身軽なのを見て、「もしかしたら今年…」。そんな予感は少なからずあった。冷静な福永が競馬で涙を流す姿を見たのは初めて。担当記者として、待ちに待った瞬間にこちらも涙が止まらなかった。(橋本 樹理)

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