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逆境こそ「心が満たされる」柴崎のスペイン挑戦

2017年2月16日16時0分  スポーツ報知
  • 背番号「20」のユニホームを披露する柴崎岳

 12年間、鹿島担当を務め、欧州リーグに挑む多くの選手を見てきた。2006年にイタリア1部メッシーナに期限付き移籍したのはMF小笠原満男。ドイツW杯を不完全燃焼で終えていた悔しさもあり、刺激を求めて飛び立った。海外に関心がなかった内田篤人は、ブンデスリーガを観戦に行ったことで「ここでやりたい」と感じ、半年後の2010年6月にドイツ1部シャルケ04へ移籍。2014年、大迫勇也(1FCケルン)は日本一のストライカーになるため、ドイツ2部1860ミュンヘンに渡った。

 今冬、柴崎岳がスペイン2部テネリフェに移籍した。昨年クラブW杯の決勝でレアル・マドリードを相手に2得点するなど活躍。スペイン1部ラスパルマスなどが獲得に興味を示したが、交渉は難航。欧州の移籍市場が閉まる最終日の1月31日に、2部クラブへの移籍が決まった。注目された海外挑戦の結果としては物足りなかったのか、柴崎の選択には否定的な意見も耳にする。ある代理人は「スペインにこだわるより、1部にこだわった方が良かったんじゃないか」と感想を漏らし、別の代理人は「スペインには柴崎のようなタイプ(攻撃参加もできるボランチ)はたくさんいる。日本人が求められていないポジション」と苦戦を予想した。他クラブの関係者は「鹿島に残って、シーズンが始まる夏に移籍を目指した方が良かったのでは」との意見だった。

 欧州を目指す理由は選手によって違う。鹿島でタイトルを重ね、次のステップを踏むために海外を選ぶケースが多い。柴崎は高校時代から海外挑戦をサッカー人生のプランに組み込んでいた。プロ入り初のインタビューを担当する幸運に恵まれた当時は18歳。「海外に行く」と語っていた。「プロになる」と決めたのは小学生の頃。「みんなが言う、夢とか目標じゃなかった。どうすればプロになれるか。常に考え、進路を選び、練習をした」と考えてきた。だから、欧州移籍も卒業アルバムに記すような、漠然とした“将来の夢”ではなかった。海外進出を見据え、国内で最もレベルの高い鹿島を選んだ。

 近年は欧州の移籍市場が開くたびに「何か情報、聞いてる?」と私に尋ねてきた。移籍に関しては「不確定な情報は書かないでよ」と念を押された。報道が先行することで、移籍話が消えないように願う気持ちの表れだったのかもしれない。病気やけがをきっかけに日本代表から遠ざかり、海外クラブのスカウトの目から遠ざかる時期が続いたという、背景もあったのだろう。24歳になる前には「海外に行くには、ぎりぎりの年齢になってきている」と珍しく不安をのぞかせた。

 「勝ち方を知りたい」と鹿島を選んだものの、プロは厳しかった。「俺は腰高(重心が落ちない)だからさ」と悩み、不格好な「がに股」に変えてまで重心を落とそうとしていた。体を大きくしたくて、白飯を食べる量を増やした。日本代表からチームに戻ると、監督や先輩の助言に耳を傾け、すぐに実戦した。色白でクールな顔立ちのせいかスマートに映るが、素顔は愚直そのものだ。

 そんな柴崎が鹿島で6シーズンを終え、スペインに渡った。日本人の中盤選手がスペインで存在感を示した例はなく、難しい挑戦になるだろう。シーズン途中の冬より夏に合わせて移籍した方が良かった―という意見も理解できる。ただ、鹿島に入る前から海外を目指して準備してきた。「どこ(の国)でもいい、と言うわけじゃない。自分が生きる所はある」と検討を重ねて選んだのがスペインだった。

 鹿島ではよく腹の不調に悩まされていたが、テネリフェでも体調を崩し、練習に参加できない状態だという。現地では「日本への帰国を要望している」との報道もあった。今は苦しんでいる様子ばかりが目立つが、「すぐに何でもできてしまう環境より、できないことが多くあった方が俺(の心)は満たされる」と逆境を力に変えられるタイプ。サッカー人生で地道に課題をクリアしてきた柴崎らしく、スペインでも一歩一歩、着実に歩んでいくだろう。(記者コラム・内田 知宏)

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