【ハリル解任の真実】「意見言えば呼ばれなくなる」“強権政治”に選手の不満爆発寸前

スポーツ報知
15年、イラン戦で日本代表イレブンと一緒にピッチへ入るハリルホジッチ監督

 日本サッカー協会は9日、都内のJFAハウスで会見を開き、田嶋幸三会長(60)が今月7日付でのバヒド・ハリルホジッチ監督(65)の解任と、西野朗技術委員長(63)の新監督就任を発表した。西野氏の契約は6月14日開幕のロシアW杯まで。日本協会は、選手との信頼関係が崩れた監督を更迭するという大ナタを振るい、約2か月後の本大会に挑むことになった。スポーツ報知では「ハリル解任の真実」と題した緊急連載で解任劇を検証する。

 チームは常に“空中分解”の危険性をはらんで歩んできた。「監督と選手は意見をぶつけ合ってきたがギャップは埋まらなかった。それを協会が判断したんだと思う」とある選手は明かす。ハリル監督と選手の間にできた溝は埋まることなく、W杯開幕まで残り2か月と迫った時点でハリル・ジャパンは消滅した。就任以降、体脂肪率12%以下を厳命するなどの管理主義と、単調な戦術を繰り返す指揮官に対する選手たちの不満が、解任の引き金となったのは明らかだった。

 転換点はいくつかあった。最初は2017年6月、W杯アジア最終予選イラク戦に向けたイラン・テヘランでの合宿中の出来事。積極的な意見を求めるハリル監督の部屋のドアをノックしたのはFW本田圭佑(パチューカ)だった。関係者によれば、本田は監督の選手起用や戦術などを確認し、自身の考えを口にしたところ指揮官も応酬。激しい意見のぶつけ合いは約2時間に及び通訳が疲弊するほどだった。時期は不明だが、FW岡崎慎司(レスター)も直接、監督と議論した。結果、両者はポジションを失い、代表から声がかかることがなくなった。ある選手は「意見を言った選手が代表からいなくなることもあった。意見は聞いてくれるけど何かが変わることはなかった」。別の選手は「意見を言えば呼ばれなくなる。監督の言うことをやるしかない」。“強権政治”は選手にとって大きなストレスとなった。

 17年12月には一部の選手たちから協会に対して進退を問うべきとの声も上がった。「海外組で監督の言うことを聞く選手はほとんどいなかった」とある主力選手。ベテラン選手が場を収め“クーデター”は未遂に終わったが、怒りはくすぶり続けた。

 そして3月のベルギー遠征が決定打となった。W杯を約3か月後に控えた段階でも選手選考を繰り返し、格下マリには1―1。縦一辺倒の攻撃に加え、突然のロングボール多用など内容も乏しく、ミックスゾーンで公然と手腕への批判を口にする選手も出始めた。ベテランだけではなく、中堅選手すらハリル監督にかみつくこともあった。悪い流れを変える最後のチャンス―。このままW杯に突入するのは不可能だと考えた一部の選手たちが音頭を取り、話し合いの場を設けようとした。直前になって中止となったが、協会幹部は選手たちの爆発寸前の不満を再確認。良くも悪くも自分の考えを曲げることの少ないハリル監督からの歩み寄りを難しいと判断し、前代未聞の解任劇へとつながった。(特別取材班)

 ◆バヒド・ハリルホジッチ 1952年5月15日、ボスニア・ヘルツェゴビナ生まれ。65歳。旧ユーゴスラビア代表FWで82年スペインW杯出場。82~83年、84~85年にフランス1部ナントで得点王に輝き87年に現役引退。97年ラジャ・カサブランカ(モロッコ)の監督に就任し、アフリカクラブ王者。2008~10年にコートジボワール代表監督。11年からアルジェリア代表を率いて14年ブラジルW杯で同国初の16強。同年7月にトルコ・トラブゾンスポルの監督に就任し同11月に退団。15年3月に日本代表監督就任。

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