この4年で“頑固者”大迫を変えた2度の屈辱

スポーツ報知
17年11月、ブラジル戦に出場した大迫

 ロシアW杯代表候補選手直撃の最後は、ガーナ戦代表に選出されたFW大迫勇也(28)=ブレーメン=。ブラジルW杯で1次リーグ敗退、無得点に終わってから4年。変わることに慎重だった男が、2度「変身」を決意し、実際に変わってきた。ロシアW杯ではゴールを奪い、チームを勝利に導く―。スポーツ報知の取材にエースの自覚を語った。(内田 知宏)

 大迫を「人から言われることをなかなか聞いてくれない」と評する関係者は多い。鹿島からドイツへ移籍した際も、恩師を含めて大多数が反対する中で海を渡っていった。九州男児らしく信念を持っているとも、頑固であるともいえる。その大迫がブラジルW杯からの4年で、大きく変わった。2つの出来事を契機に自ら変わろうとした。

 「悔しい思いをして、だからこそ自分が変わらなきゃいけない。変わらないとまた悔しい思いをする。新しいトレーニングを入れて、少しでも成長しようと思った。ロシアW杯でしっかり結果を残すために。ロシアで本当にトレーニングをやってきて良かったという思いをしたいと思ったから。僕は11人の中で一番前にいる。だからやる覚悟を一番持って試合にも練習にも臨まなきゃいけない」

 まずはブラジルW杯。2試合に先発したが、無得点に終わった。ドイツに戻った後、トレーナーとともにロシアへの二人三脚のトレーニングが始まった。大柄な外国人DFを背負ってもぶれない体をつくるため、呼吸法によるトレーニングを取り入れた。また、小麦、卵、牡蠣(かき)にアレルギー反応があることを検査で知ると、試合2日前からそれらを含む食品を口にすることはなくなった。細かいところまで気にした。

 「何か変わらないとダメだと思った。必死でした。もっと成長するためにやるしかなかった。日本(Jリーグ)にずっといたらやっていなかったと思う。ドイツに来てからも、もともとある身体能力だけでやっていた。(単身赴任で)1人の時間が長いから考えちゃうってこともあったよね」

 ケルンで結果を出し始めた頃、再び壁にぶつかった。17年3月、日本代表の一員として参加したフランス遠征。世界トップクラスのブラジルとベルギーと対戦し、2連敗。FWとして無力さを感じ、今度はより体を有効に使うため、脳を鍛えることを決めた。

 「耐震ゴムのような動きで、相手の力を吸収して利用する形ができ始めてきた。4年前よりボールキープするレンジが広くなった。自在に使えるようになった分、ゆとりができている。今は4年前とは比べものにならないほど(W杯で)やれる自信がある」

 2度目のW杯。歩んできた過程と、今抱く心境は、日本のエースと呼ばれるにふさわしい。

 ◆大迫 勇也(おおさこ・ゆうや)1990年5月18日、鹿児島・加世田市(現・南さつま市)生まれ。28歳。2009年、鹿児島城西高から鹿島入り。14年1月にドイツ2部1860ミュンヘンに加入し、14年7月に同2部ケルン移籍。来季からはブレーメンでプレー。今季リーグ戦全25試合4得点。日本代表は13年7月の東アジア杯・中国戦でデビュー。14年ブラジルW杯出場。182センチ、71キロ。既婚。

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