サッカー日本代表シェフ西氏がJヴィレッジ復帰…東日本大震災から7年

スポーツ報知
調理する西芳照氏(西氏提供)

 東日本大震災の発生から、今月11日で7年となる。サッカー日本代表専属シェフの西芳照氏(56)は、7月28日に一部再開するサッカー施設「Jヴィレッジ」(JV=福島・広野町、楢葉町)のスタッフに復帰することが決まった。震災前はJVの総料理長を務めていた西氏は、同所が福島第1原発事故の収束拠点施設となった後も、食を通じて地元の復興に取り組んできた。サッカーの“聖地”で、新たな挑戦が始まる。

 7月に一部再開が決まったJV。西氏は「素直にうれしい。震災から7年で、一部であっても再開できる」と、感慨深げに語った。広野町の居住者は、2011年3月の震災前の5490人から一時、278人まで減少したものの、現在は4061人まで戻った。

 震災直後の西氏は東京に避難することを余儀なくされた。しかし、JVが原発事故対応の最前線基地となり、「作業員の力になりたい」という思いで広野町に戻った。「当時はろくな食べ物がなかった。命がけで働いている作業員さんに、おいしくて温かい物を食べさせたかった」とJVの調理場に立った。

 最も苦労したのは食材の調達だ。自家用車でいわき市まで買い出しに行き、片道約40キロを毎日往復した。「車いっぱいに食料を積み込んで、行き来した。野菜も高かった」と、苦しい時期を思い出した。

 11年11月、広野町にレストラン「アルパインローズ」をオープンさせた。当初は150人近くの作業員が訪れ、店内が人であふれ、にぎわいを見せた。深夜に宴会が開かれることもあり、「吉田昌郎さん(当時福島第1原発所長、故人)がお酒をついで回っていた。深夜2時ぐらいまで飲んだね。苦しかったけど、楽しかった」

 同店は今年2月28日に閉店した。作業員が撤退し、利用者が減少したためだ。「作業員の憩いの場を作りたくて開いた。ここでみんな、英気を養ってくれたからうれしかった」と振り返った。

 今後、JVでは料理の監修やメニュー開発に従事し、自らは調理場には立たない。だが、16年3月に広野町内に開店した、もう1つの飲食店「くっちぃーな」(商業施設「ひろのてらす」内)でフライパンを振り続ける。「JVでは勤務日は5日ぐらい。残りの25日はレストランで働く」。6月のW杯ロシア大会にも、日本代表専属シェフとして帯同する予定だ。

 JVへの復帰にあたり、目標が2つある。「1つは、自分がスポーツや料理で経験したことを、次の世代に伝えたい。2つ目は、選手にとって最高のパフォーマンスを引き出すメニューを作る。JVで頑張っていきたいです」。地元復興のために、常に最前線で戦ってきた西氏は、復活するサッカーの聖地で夢を追い続ける。(海老田 悦秀)

 ◆西 芳照(にし・よしてる)1962年1月23日、福島・南相馬市生まれ。56歳。高校卒業後、上京して料理人に。1997年、Jヴィレッジのレストランに勤め、99年から総料理長に。2004年にはサッカー日本代表専属シェフとなり、W杯には06年ドイツ大会から3大会連続で帯同している。

 ◆Jヴィレッジ1997年にオープンした、日本初のサッカー・ナショナル・トレーニング・センター。福島県双葉郡広野町と楢葉町にまたがり、敷地は約49・5ヘクタール。約5000人を収容するスタジアムや天然芝フィールド11面、宿泊施設などを擁し、日本代表など多くのチームが合宿などで利用していた。震災後は原発事故収束の拠点施設となり、一時は1000人以上の作業員が寝泊まりした。今年7月28日に、本来の運動施設として営業を一部再開する予定。

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