【W杯伝説プレーバック】オウンゴールで射殺“エスコバルの悲劇”

スポーツ報知

 過去大会の激闘や活躍した選手を振り返る「伝説プレーバック」の第6回は、オウンゴール(OG)に注目。史上最も有名で、最も悲しいOGは1994年米国大会で起きた―。

 1次リーグ・A組第2戦、コロンビアは地元の米国と対戦。0―0の前半35分のプレーが悲劇の始まりとなった。DFエスコバルは、右サイドから上がった相手クロスのクリアを試みた。だが、伸ばした右足に当たったボールは不運にも真っすぐ自軍ゴールへと沈んだ。この1点が最後まで大きく響き、コロンビアは1―2で黒星。MFバルデラマらを擁し、南米予選A組をアルゼンチンと並ぶ首位で通過した優勝候補は、あえなく1次リーグで姿を消し、国民は涙に暮れた。

 OGの余波は、決して許されない事件へと発展する。米国戦から10日後の7月2日未明、帰国していたエスコバルは、メデジン市内へのナイトクラブへと足を運んだ。カウンターで友人と歓談して店外に出たときだった。突然、近づいてきたマフィアの男が「オウンゴールありがとう」との言葉と同時に発砲。無数の銃弾に体を貫かれ、未来あるサッカー選手は27歳で生涯を終えた。

 日本が「ドーハの悲劇」で出場を逃した米国大会は、ブラジルが決勝戦でPK戦の末にイタリアを下し、4度目の優勝を飾って幕を閉じた。一方で大会期間中に起きたこの事件は世界に衝撃を与えた。コロンビアでは2006年にも選手がナイトクラブで射殺される事件が発生。政治、宗教なども絡み、サッカーはスポーツの領域を超えることもある。W杯は選手、サポーターの人生を狂わせることもあるが“エスコバルの悲劇”は繰り返されてはならない。

 ◆日韓大会では1試合2OG W杯で唯一、1試合で2つのOGが生まれたのは2002年日韓大会1次リーグの米国対ポルトガル戦。米国のアグース、ポルトガルのコスタが記録して試合は3対2で米国が勝った。初のOGは30年の第1回W杯ウルグアイ大会1次リーグ、メキシコのロサスがチリ戦で記録。最もOGが多かった大会は98年フランスW杯で6つ。

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