【長谷部誠・原点】高校時代の希望進路は2部の青学大だった 浦和のオファーで一気に変化

2018年6月14日10時0分  スポーツ報知
  • 高校時代は遅咲きだった長谷部

 サッカーのW杯ロシア大会が日本時間14日、ロシア―サウジアラビア戦で開幕する。大会前最後の親善試合(12日、パラグアイ戦)を勝利で終えた日本代表は、1次リーグH組で19日にコロンビア、24日にセネガル、28日にポーランドと対戦する。スポーツ報知では3大会連続で主将を務める藤枝市出身のMF長谷部誠選手(34)の原点である藤枝東高時代に、恩師らの証言で迫った。(構成・山田 豊)

 プロの道が現実味を帯びた時、藤枝東高3年の長谷部の目の色が変わった。01年6月、高校総体県大会決勝を静岡学園にPK戦の末勝利。実は5月の大型連休明けに当時の服部康雄監督(62)から冬にJ1浦和から獲得の打診があったことを伝えられた。直後、「全国総体の前にぐんと伸びた」(服部氏)。周囲から「やんちゃ」や「チャラかった」と評された男にスイッチが入った。

 同校の1学年下にはU―17日本代表DF大井健太郎(現J1磐田)と同MF成岡翔(現J3相模原)が在籍。「長谷部への期待は大きくなかった。いつ試合に出始めたか記憶にない」と服部氏。実際は高2から出場していたが、目立つ印象はなかった。1学年下の現藤枝東高・小林公平監督(33)が「長谷部さんはミスが少なかった」と話すように、蹴る、止めるの基本プレーの堅実性が評価され、同校OBがスカウトをしていた浦和から打診が届いた。

 だが、服部氏はそのとき「あえて本人には言わなかった」。何も知らない長谷部は進路希望表に青学大と記した。「藤枝東の生徒は国公立や、東京六大学を書くことが多い。(当時)関東大学リーグ2部の青学を書くのは珍しい。女性目当てかなって(笑い)」と服部氏。キャンパスライフに憧れていたようだった。

 藤枝東が3年ぶりに挑んだ全国総体ではトップ下。1学年後輩の成岡がU―17日本代表に招集されていたため、練習試合で右MFからコンバート。服部監督は「あっと驚くプレーができたというのではないが、スルーパスを出せたし、中盤でタメも作れた」。後輩の大井は「長谷部さんにはうまさがあった」。初の大舞台。飛躍を遂げようとしていた。=つづく=

 ◆長谷部 誠(はせべ・まこと)1984年1月18日、藤枝市生まれ。青島東小、青島中を経て藤枝東高入学。02年浦和入りしJ1優勝やACL制覇に貢献。08年に独1部・ヴォルフスブルクへ移籍し08―09シーズンにリーグV。13年ニュルンベルク、14年にフランクフルト加入。日本代表デビューは06年2月の米国戦。南ア、ブラジル、ロシアW杯で代表主将。代表通算110試合2得点。180センチ、72キロ、血液型O。既婚。

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