村田諒太、ミドル級日本人初の防衛成功 V3戦は東京ドームで現役最強王者ゴロフキン戦!

スポーツ報知
初防衛に成功した村田(カメラ・堺 恒志)

◆報知新聞社後援プロボクシング・ダブル世界戦 ▽WBA世界ミドル級タイトルマッチ ○村田諒太(8回 KO)エマヌエーレ・ブランダムラ●(15日、神奈川・横浜アリーナ)

 王者・村田諒太(32)=帝拳=が、同級6位エマヌエーレ・ブランダムラ(38)=イタリア=に8回2分56秒TKO勝ちした。ミドル級では1995年の竹原慎二氏(46)以来2人目の世界王者に輝いた村田が、96年に竹原氏の敗れた横浜アリーナで同級日本人初の防衛に成功。リング上では、同級3団体統一王者ゲンナジー・ゴロフキン(36)=カザフスタン=に挑戦状を叩きつけた。村田の戦績は14勝(11KO)1敗、ブランダムラは27勝(5KO)3敗となった。(観衆・1万1000)

 初防衛の壁を打ち破った。村田は8回2分56秒TKO勝ち。最激戦区のミドル級で日本人初の防衛成功を果たすと、リング上で次なる目標をぶち上げた。「戦いたい相手はゴロフキン。そこを目指してやりたい」。V2戦は米ラスベガスが濃厚。その後のターゲットに現役最強王者を見据えた。

 試合は、序盤から鉄壁のガードで詰めながら好機をうかがう展開。ガードを破壊するように左右を打ち込むと、敵は下がるしかない。離れる相手に「距離が合わない。焦りが出た」と戸惑ったが「右を打つ時に体が開いていた」と冷静に分析。ジワジワと追いつめ、修正したフック気味の右ストレートで四つんばいにさせた。まさに一撃必殺だ。

 この日、村田と契約する米興行大手トップランク社CEOのボブ・アラム氏(86)と帝拳ジムの本田明彦会長(70)が接触した。V3戦についてアラム氏は「早くて年内に東京ドームでゴロフキンとやらせたいと話した」と夢プランを提言。本田会長はV2戦を米国で米国人との対戦を希望し、「いい勝ち方をすればゴロフキンの名前も出てくる」とした。V2成功なら村田の夢、ファンが心躍らす計画が動き出す。

 村田は「本物」にこだわる。昨年、NHK紅白歌合戦のゲスト審査員を務め、一流歌手の圧倒的なパフォーマンスを見た。「魂で歌う姿に感動した。偽物と本物って素人目でも分かるんやな」。自らも人の心を動かす可能性を秘める。「自分が本物にならなあかんな。本物になるために練習せな」。躍進を誓った。

 2月にボクシング界を揺るがす事態が起きた。東京五輪実施競技から除外される可能性が浮上。組織の問題などを国際オリンピック委員会に指摘された。ただ、現状は存続への動きが少ない。「僕はアマじゃない。具体的に動けない」。呼びかけることしかできない。SNSでは「立ち上がれ!」と投げかけた。「ボクシングを大舞台で発信していきたい」。挑戦者を退け、リングでメッセージを伝えた。

 「僕はリアルなチャンピオンじゃなく、ゴロフキンがリアルチャンピオン」と謙虚にいるからこそ、努力を続けられる。「目標は高く持っていきたい。目指すなら1番。リアルを求めたい」。人の心を揺らすため、「本物」を追い求める。(浜田 洋平)

 アラム氏は、村田がゴロフキンを倒せることに自信を見せた。体格差で村田にアドバンテージがあるとし「勝つと思わなければ、自分のプロモートする選手を戦わせない」と断言。さらに「試合時間を日本の日曜朝にできないか」と本田会長に話したという。「米国の東海岸は夜になるからね」とゴロフキンが戦うメリットとなるよう尽力する。

 ◆村田 諒太(むらた・りょうた)1986年1月12日、奈良市生まれ。32歳。中学1年でボクシングを始め、南京都(現・京都広学館)高で高校5冠。東洋大、同大学職員で全日本選手権優勝5回。2011年世界選手権銀メダル。12年ロンドン五輪ミドル級でボクシング日本勢48年ぶりの金メダル。13年8月にプロデビューし、17年10月にWBA世界ミドル級王座奪取。身長183センチの右ボクサーファイター。家族は妻と1男1女。

 ◆ゲンナジー・ゴロフキン 1982年4月8日、カザフスタン出身。36歳。2004年アテネ五輪ミドル級で銀を獲得するなど、アマ時代は345勝5敗。06年5月にプロ転向。10年8月に世界初挑戦となったWBA同級暫定王座決定戦で、相手を開始58秒で沈め、19戦無敗で獲得。14年5月に10度防衛に成功し、スーパー王者に。10年8月の初防衛から17年3月まで、世界戦17戦連続KOは歴代最多記録タイ。パウンド・フォー・パウンド(全階級を通じての最強選手ランク)で1位に君臨する。179センチ。右ボクサーファイター。

 

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