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最後までらしさ貫いた“人間発電所”ブルーノ・サンマルチノ

2018年5月11日11時0分  スポーツ報知
  • インターナショナル選手権で戦うG馬場とサンマルチノ(右=1967年3月7日)

 “昭和のプロレス”ファンにとっては、残念なニュースだった。4月18日に82歳で亡くなったブルーノ・サンマルチノ氏の訃報だ。“人間発電所”という異名を持っていたが、小学生時代、テレビで見ていたサンマルチノ氏は、まさしく発電所だった。

 209センチのジャイアント馬場さんをベアハッグで締め上げる光景は、両者の体中を電気が走っているように見えた。体を担ぎ上げてのバックブリーカーなど、怪力とはこういうことを言うのだろうなあ、と納得したものだ。米ニューヨークの格闘技の殿堂、マディソン・スクエア・ガーデンの帝王と呼ばれており、とてつもなく強いというイメージがあった。70年代には、マディソンバッグが流行したが、サンマルチノ氏の影響も大きかったのかなと思った。

 当時、金曜午後8時はテレビでプロレスを見るのが楽しみだった。メインイベントの前には必ず、三菱電機の掃除機「風神」がマットをきれいにしていた。レスラーは個性的で、来日するまで、どんな選手かベールに包まれたまま。今のように、ネットを見れば、動画を見ることができるというのは夢みたいな話で、少年雑誌のプロレス特集の数少ない情報を食い入るように読んでいた。

 ザ・マミーというレスラーは体中に包帯を巻き付けた写真が掲載され、墓場から生き返ったミイラという設定で「怖い」と本気で思った。しかし、いざ、リングに上がるとめちゃくちゃ弱く、がっかりしたことも多かった。

 しかし、サンマルチノ氏は我々を失望させることはなかった。日本での最後のファイトは81年、馬場さんとタッグを組み、タイガー・ジェット・シン、上田馬之助組との対戦だったが、46歳とは思えない怪力を見せつけた。最後まで人間発電所だったのだ。

(記者コラム・久浦 真一)

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