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柔道五輪代表候補からの転身「最後のスポーツ」で大きな夢をつかんだ栃ノ心 

2018年6月7日16時0分  スポーツ報知
  • 小野川親方の襲名披露パーティーに参加した栃ノ心(左、右は御嶽海)

 大相撲夏場所は、13勝を挙げてジョージア出身初の大関昇進を果たした栃ノ心(30)=春日野=が話題の中心だった。直近3場所37勝は文句なしの好成績。2場所連続優勝の横綱・鶴竜(井筒)を差し置いて、主役になったのにはワケがある。

 場所中の朝稽古後、本人の口から次々と明かされたエピソードはどれも秀逸で、報道陣をくぎ付けにした。締めに納豆5パックを白飯と一緒に平らげる豪快な夕食メニューの詳細から、土俵をつかむ足の親指の長さ(7・5センチ!)まで。なかでも興味深かったのは、なぜ母国の柔道の有望選手が角界入りしたのか、ということだった。

 ジョージアの実家はワイン農家を営む。赤、白を含めて年間約2トンを醸造するが、そのほとんどが売りものではなく、家族での消費用だという。「まあ、みんな昼からワインを飲んでいるからね」と1年足らずで飲み干す酒豪ファミリー。一方で実家は何で生計を立てているのかという疑問が湧いた。その問いには「俺の仕送り、ハハハッ」と笑いを込めてつぶやいた。

 当初、10代の息子が遠い異国で角界入りすることに母・ヌヌさんは泣いて反対していた。それが、大関取りにつながった初場所の初Vでうれし涙に変わった。現在の“親孝行”の仕送り額は「秘密」と明かさなかったものの、力士がプロのアスリートとしてお金を稼ぐことには誇りを持っている。

 元々、ジョージアでは柔道の五輪代表候補として欧州ジュニア大会で銀メダルなど将来を嘱望されていた選手。だが、母国で抱いた夢と現実には葛藤がつきまとっていたという。「13、4歳の頃かな、ジョージア国内での柔道合宿では食べ物にも苦労した。パンは硬いし、お茶を飲むときにバターと砂糖を入れるんだけど、ひとかけらしかなかったんだ。柔道で頑張っていたけど国自体にお金がない。電気は止まるし、(シャワーの)お湯も出ない時もあった」と整わない競技環境を嘆いた。

 将来に不安を持ち始めた05年、相撲の国際大会出場のため、17歳で2度目の来日。当時、幕内で活躍していた同郷の先輩・黒海(元小結)から「頑張れば相撲で生活できる」と背中を押された。「五輪は4年に一度。柔道は大好きだけど(競技人生で)五輪に出られても2、3回だろう」と悩んだ末に、角界入りを決断。ジャパニーズドリームに懸けた。この転機で06年の名門・春日野部屋入門、成功へのスタート地点に立った。

 周囲には「2年で関取になる」と宣言するも「無理だ」と渋い顔をされた。それでも、06年春場所の初土俵を経て、08年初場所で新十両になった。毎朝4時起床の慣れない集団生活に悩みながらも「すぐに相撲を辞めて国に帰るのだけは恥ずかしかった」と歯を食いしばった。成功へ退路を断ってきた決意が違った。「十両で初めての月給(約100万円)は当時、手渡し。もう、うれしくてさ。何度も飲みに行ったよ」。部屋に戻っては大喜び。今も忘れられない光景だ。

 「相撲界に入って良かったよ。もう30歳だから、柔道を続けていたら引退していたかもしれない。人生どこでどう変わるかわからない。小さい頃から柔道も(格闘技の)サンボも経験して、これが最後のスポーツ。だから、ボロボロになるまで相撲は続けるよ」。母国に土俵を作り、これまで獲得したトロフィーを展示する“栃ノ心ミュージアム計画”もある。加えて、「畳を敷いて柔道ができるスペースもほしいな」と柔道愛も決して忘れず、競技環境の向上プランも温めている。

 新大関となった名古屋場所(7月8日初日・ドルフィンズアリーナ)は「角界の顔」として臨む。月給は関脇から約65万アップの約235万円。6月に弟・ラシャさんが結婚した。「ご祝儀? ジョージアで日本円は使えないからな。どうしようかな」と最後までジョークを飛ばして笑わせた。プロのアスリートとして誇りを持ち、土俵で汗を流して稼ぐ。それが家族へ、自らを育ててくれたスポーツへの恩返しだと信じている。(記者コラム・小沼春彦)

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