【箱根駅伝出場21チーム紹介〈18〉】山梨学院大、上田親子鷹最終章 どん底からの上昇

スポーツ報知
前回大会17位からの復活を目指す山梨学院大(カメラ・大津 紀子)

◆山梨学院大 前回17位(32年連続32回目)=出雲不出場、全日本9位=

 付属高在学中から7年間、山梨学院のユニホームで走った上田健太(4年)が集大成のレースに臨む。前回は優勝候補に挙げられるも、大会直前に複数の主力選手がインフルエンザを発症し総合17位に沈んだ。チームを支えてきた主将が父・上田誠仁監督(58)とともに上位を脅かす決意を語った。

 優勝候補に挙がりながら過去最低の17位に終わった前回の雪辱を果たす時がやってきた。先頭に立つのはエースで主将、そして指揮官の次男でもある健太。多くの責任と注目を背負ってチームを引っ張る。

 5月の関東学生対校でハーフマラソンを走った後、左足の故障が発覚。本格復帰は8月の夏合宿となり、10月の箱根予選会では個人23位にとどまった。11月の全日本大学駅伝では1区12位に沈み「主将である自分が仲間に迷惑をかけてしまった」と悔し涙を流した。2013年には高校駅伝で日本一の立役者にもなった実力者。最後となる「父子鷹」での復活劇に向けては過度の期待がかかり、周囲に「自分だけでなくもっとチームを、頑張る選手を見てほしい」と漏らすこともあった。

 苦しい時間を支えたのは、付属高から7年間をともに過ごす河村、市谷ら4年生。優等生キャラの健太に対しマイペースの河村、やんちゃな市谷とタイプは異なるが、グラウンドを離れれば兄弟のように何でも話せる存在だ。予選会を欠場した市谷は「自分のふがいなさを健太は本気で怒ってくれた。任せきりだった分、最後は自分がしっかり決めて後輩に何かを残したい」と巻き返しに燃えている。

 指揮官は「駅伝チームは家族。健太を軸に球体のように一つにまとまって、目標へ滑り出してほしい」と期待を込めた。健太は「後悔のない走りをしたい」と穏やかに笑った。父が人生をかけて32年間守り続けたプルシアンブルーのタスキを身に着け、最後の箱根路で魂の走りを披露する。(大津 紀子)

 ◆上田 健太(うえだ・けんた)1995年7月5日、山梨・甲府市生まれ。22歳。現代ビジネス学部4年。中1から本格的に陸上を始め、中3で全国中学陸上1500メートル優勝。同じレースに出ていた市谷や河村らと山梨学院大付属高(現山梨学院高)に入学、3年時に全国高校駅伝で初優勝。趣味は映画観賞、音楽鑑賞。177センチ、56キロ。家族は両親と兄、妹。

 ◆戦力分析

 ケニア人留学生のニャイロは3年連続の2区が濃厚。主将の上田、副将の永戸と往路に3本柱を投入して勝負する。過去3年で20位が2度と苦戦している1区の配置が勝負を分ける。

 日本人で好調なのは永戸。箱根出場校が多数参加した11月25日の1万メートル記録会では28分30秒59の自己新でトップに立った。永戸―ニャイロ―上田と序盤から本来の走りができれば、往路での1ケタ順位は十分に可能だ。

 ニャイロは1年時2位、前回は足の故障明けで9位に終わっており「区間賞が欲しい。ライバルは鈴木さん」と、神奈川大のエース・鈴木健吾(4年)との対決に燃える。3本柱が快走を見せれば、棄権を除き過去最低だった17位からのジャンプアップは間違いない。

 ◆山梨学院大 1985年、強化指定クラブとして本格始動。箱根駅伝は87年に初出場して優勝3回(92、94、95年)。出雲駅伝は優勝6回。全日本大学駅伝は10度の2位が最高。タスキの色はプルシアンブルー、中長距離部員は35人。所在地は甲府市。主なOBは初出場の87年に10区を走った漫画家の高橋しん、17年世界陸上マラソン代表の井上大仁(MHPS)ら。

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