競輪・後閑信一が引退「気持ちがついていかなくなってきた」

スポーツ報知
13年「オールスター」を制して賞金ボードを力強く掲げた後閑

 G13Vのトップレーサー・後閑信一(47)=東京・65期、S級1班=が引退する。26日、スポーツ報知の取材で明らかになった。90年にデビューして27年、S級のトップに君臨。2013年にはG1「オールスター競輪」を43歳で制するなど、常に業界を引っ張ってきた。ここ数年はけがに悩まされ続け、満足いく結果を残せなくなっていた。きょう、27日に日本競輪選手会へ引退届を提出する。今後については未定だが、将来的には、若手の指導育成や解説、評論など競輪界に携わる仕事に就きたい意向だ。

 ボスの愛称でファンから親しまれてきた後閑が、ついにバンクを去る。90年にデビューすると、トントン拍子で競輪のトップランクS級に昇格。G1戦線で活躍し、押しも押されもせぬ中心選手になった。度重なる大けがを乗り越え、13年には43歳にしてG1「オールスター」を制した。後輩の指導、面倒見も良く、後閑を心の師と仰ぐ選手は多い。

 オールスターV後は、結果を残せていなかった。並のS級選手なら満足いく成績でも、G1を3度優勝した後閑としては到底、納得できるものではなかった。元々、自分でレースを作る自力選手だったが、追い込み型に転じ、さらに40歳を超えて自らの競走を見つめ直し、また自力型に。G1の最年長優勝記録を自力でつかみ取ることを目標に、日々、汗を流し続けてきた。14年の「寛仁親王牌」(弥彦競輪場)では競走中に落車し、ドクターヘリで新潟市内の病院に運ばれたこともあった。鎖骨、肋骨(ろっこつ)6本骨折に加え、肺気胸。集中治療室に運ばれ、その夜、家族が病院に呼ばれるなど、生命の危険もあった。退院後は数か月、横になって寝ることができず、自宅リビングのソファに座ったまま寝た。

 後閑はスポーツ報知の取材に対し「今年のダービーは地元(京王閣競輪場)で優勝するつもりで臨んだし、それだけの状態だった。それなのに一次予選で落車してしまい…。そこで引退の2文字が頭をよぎりました。G1で優勝することが目標というか、自らに課した義務みたいなものだったので」。10月にも地元のF1に参戦したが決勝に進めなかった。「体というより、気持ちですかね。気持ちがついていかなくなってきた」。そして今月に入り、引退を決意した。

 「11月の平で競走中に首を痛めた。その後、手がしびれるようになって…。このままの状態では車券を買ってくれるファンに申し訳ない。走る以上はG1の優勝を目指さないといけないのに、最高のパフォーマンスができなくなった。本能というか、体が反応しなくなった」と引退の理由を語った。

 27年間の現役生活を振り返り「思い出に残るレースは高校時代から尊敬し背中を見てきた神山(雄一郎)さんが先行してくれて、僕が優勝した競輪祭と2度目のG2優勝となった共同通信社杯。国際ケイリンで世界の超一流と戦えたこと。会心だと思ったのは13年のオールスターで新田祐大選手をまくったレースです。逆に心残りは、僕がグランプリで神山さんを引っ張って優勝してもらえなかったこと」。

 今後はキャリアを生かして若手、第2の後閑育成や、自分を育ててくれた競輪界へ恩返しの意味で、解説などの仕事に就くつもりだ。

 ◆後閑 信一(ごかん・しんいち)1970年5月2日、群馬県前橋市生まれ。47歳。前橋育英高校卒業後、第65期生として日本競輪学校に入学。在校5位の成績で卒業。90年4月(小倉《7》〈3〉《1》)デビュー。96年のG2「第8回共同通信社杯」(名古屋)でビッグレース初優勝。G1は05年「第46回競輪祭」(小倉)、06年「第15回寛仁親王牌」(前橋)、13年「第56回オールスター」(京王閣)で優勝。年末のグランプリは5度出場した。ニックネームは「ボス」。2158走、551勝。通算獲得賞金は12億6420万4933円。176センチ、93キロ。血液型B。15年12月、ガールズケイリンを引退した百合亜さんは長女。

   後閑という男 
引退すると聞いた時、これは何かの間違いだ、きっときょうは4月1日のエープリルフールだと思った。しかし、後閑の口調は真剣そのもの。「気力と体力がG1で優勝を狙えるものではなくなった」。ファンを第一に思う後閑らしい考えだ。
 色黒で迫力満点。Vシネマの主役を演じてもおかしくない風貌。事実、レース参加前に、某県警の警察官に職務質問をされたことが何度もあった。車好きでも有名だ。中でも国産の超高級車・センチュリーには言葉が出なかった。もちろん色は黒。センチュリーから降りる後閑、正直近寄りたくない。落車で骨折しても「骨の1本や2本は、けがのうちに入らない」が口癖だった。
しかし、風貌とは裏腹に性格は優しくておちゃめ。家では7匹の犬と1匹の猫と同居。群馬県内の家には家庭菜園も。インタビューでも平身低頭、どんなに若い記者でも丁寧に対応する。だから彼の周りにはいつも人だかりができる。かなり昔の話だが、有名なアナウンサーが「ヤンママのアイドル後閑」と絶叫した。その後閑の引退は、寂しい限りだ。(永井 順一郎)

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