稀勢の里、87年ぶり2場所連続の3日連続金星配給 5日目までに4敗の横綱過去10人全員休場

スポーツ報知
稀勢の里(左)を押し出しで破った嘉風

◆大相撲初場所5日目 ○嘉風(押し倒し)稀勢の里●(18日・両国国技館)

 出場を志願した横綱・稀勢の里(31)=田子ノ浦=が3日連続で金星を配給した。過去15勝5敗の前頭2枚目・嘉風(35)=尾車=に押し倒されて土俵下まで転落する完敗で4敗目。15日制が定着した1949年以降で、5日目までに4敗した横綱が皆勤した例はない。1930年10月場所、31年春(1月)場所の宮城山以来、87年ぶり2回目となる2場所連続での3日連続金星配給という不名誉な記録を作る逆境で休場必至の状況に追い込まれながらも、相撲人気を再燃させた横綱の奮起をファンが期待している。

 稀勢の里が結びで敗れても、ため息交じりの国技館に座布団は舞わなかった。平幕・嘉風との立ち合い。頭でかまされて“生命線”の左差しも封じられた。強引に前へ出たものの、もろ差しとなっては横綱もなすすべなし。最後は土俵下へと押し倒された。

 昨年11月の九州場所に続き、3日連続の金星配給(通算12個目)。支度部屋では、じっと目を閉じて何か思い詰めた表情。額を伝った大粒の汗を拭うのみで、報道陣の問いかけには口をとがらせて息を吐き、無言を貫いた。

 4場所連続休場からの復活ロードは一筋縄ではいかなかった。8日の二所ノ関一門の連合稽古では嘉風と10番取って9勝1敗と圧倒も、逆に本場所での取り口を研究し尽くされていた。「立ち合いで(体勢が)高く伸び上がってしまっている。バタバタしている」と出羽海審判長(元幕内・小城ノ花)。見守る師匠の田子ノ浦親方(元幕内・隆の鶴)は「勝負所で足が出ない。一番本人が悔しいと思うし、苦しいと思う。でも、本人が乗り越えないといけない。(稀勢の里が)一人で戦っているわけではないが、一人で(責任を)背負い込んでいる」と綱の重責を思いやった。

 1949年の15日制定着以降、横綱が5日目までに4敗を喫して途中休場しなかった例は過去にない。注目される6日目以降の出場可否について、田子ノ浦親方は「今日話すことは何もない」とした。

 稀勢の里を入門から育てた先代師匠の故・鳴戸親方(元横綱・隆の里)は「相撲というのは土俵際が一番面白いんだ」と言い続けてきたという。この日の朝稽古では「やると決めたら最後までやり抜く」と“皆勤”への決意をにじませた。横綱審議委員会は仮に5場所連続休場となった場合でも、進退については春場所(3月11日初日・エディオンアリーナ大阪)まで猶予があるとしている。再起へファンの期待も背負いつつ、和製横綱が己の信じた相撲道を貫く。(小沼 春彦)

 ◆3日連続の金星配給 優勝制度が出来た1909年6月以降では昨年九州場所の稀勢の里以来16例目。この時は7日目から北勝富士、逸ノ城、宝富士に配給。2場所連続して3日連続の金星配給は1930年10月、31年春(1月)場所の宮城山(高田川)以来2回目となる。宮城山は31年1月場所では初日から4日連続で金星を配給しているが、5勝6敗(当時は11日制)で皆勤負け越しを喫している。同一場所での連続金星配給は4日連続がワースト。

スポーツ

×