春日野親方、まな弟子の快挙に号泣「自分の時に優勝するとは」

スポーツ報知
春日野部屋に戻り、笑顔でタイを持ち上げる栃ノ心(左は春日野親方、右は碧山)

◆大相撲初場所14日目 ○栃ノ心(寄り切り)松鳳山●(27日・両国国技館)

 春日野部屋に46年ぶりに天皇賜杯が戻ってくる。師匠の春日野親方(元関脇・栃乃和歌)はまな弟子の快挙を見届けて号泣。2003年2月に11代目師匠となり、名門を背負う重圧と戦ってきただけでなく、初場所中には4年前の傷害事件が公になった。逆風の中で弟子への愛情だけは貫いてきた姿勢が名門復活の快挙を呼び込んだ。

 涙は見せたくなかった。春日野親方は国技館の役員室を離れ、栃ノ心の一番を同館内の事務所で見届けた。「うれしかったな。自分の時に優勝するとは思わなかった」。広報部長でもある親方は、泣きながら役員室に戻ってきた。その姿を見て八角理事長(元横綱・北勝海)を始め、執行部の親方たちももらい泣きした。

 12年前の栃ノ心の来日時は「辞書もなかったから。ロシア語とも違うし」と通じない言葉で体当たり指導。2年で新入幕を果たしたが、「やんちゃだった」と振り返る。門限破りやジャージー姿で外出する服装違反を犯し、いさめようと厳しく指導。土下座してわびる弟子に「俺も悪かった」と自らを省みて弟子との距離を縮めてきた。30歳になり弟弟子を指導する姿に、「成長した。一番力の出る年齢。俺の年(37歳)までやると言っている」と目を細めた。

 膝を痛めて幕下で3場所連続休場となっていた14年春場所前、心を鬼にして栃ノ心に休場を命じた。「いろいろと(医師の)先生と相談した。あいつは悔しくて泣いていた」。三段目まで落ちると意欲が落ちるため結局出場させたが、無理をさせなかったことが幕内復帰につながった。初場所中は朝稽古の関取同士の申し合いを、4人いる関取衆で唯一回避させた。「千秋楽まで言いたくなかったけど、股関節を痛がり初日前に言ってきた。骨がうまく入ってなかったので、無理するなと言ったよ」と体調を整えさせた。

 11日目の24日には元力士の弟弟子への傷害事件が報道で公になり、非難を浴びた。「反面教師で頑張ってくれた」と春日野親方。「清隆」の本名は祖母がファンだった横綱・栃錦に由来。だから11代目は名理事長だった9代師匠と“同姓同名”。「よく頑張った」と短い言葉に思いを込めて弟子をたたえた。(網野 大一郎)

 ◆春日野部屋 1925年に引退した出羽海部屋所属の横綱・栃木山が創設。分家、独立を許さなかった当時の出羽海部屋から例外的に許され、年寄名跡の春日野を冠した部屋を開いた。しこ名は開祖にちなみ「栃」の字が入った力士が多く、これまで2横綱(栃錦、栃ノ海)、1大関(栃光)を輩出。35年夏場所から関取が途絶えておらず、現在の45部屋で最も長い。部屋建物の上層階はマンションで「力士がいて泥棒が入らない」と言われる。所在地は東京・墨田区両国。

 ◆ジョージア 人口は約400万人(2016年推定)。面積は日本の約5分の1に当たる6万9700平方キロメートルで、首都はトビリシ。1922年にソ連に加盟し、91年に独立。宗教はジョージア正教など。公用語はジョージア語で、ロシア語も通用する。日本政府は15年、国名呼称をロシア語由来の「グルジア」から英語読みに変えた。大相撲の同国出身力士は現役の栃ノ心、十両・臥牙丸のほか、引退した元小結・黒海と弟の元三段目・司海の4人が誕生。

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