登坂絵莉から宮原知子へ…「悔いなく思い切って」

スポーツ報知
サブリンクで調整する宮原

 女子レスリングの16年リオ五輪48キロ級金メダリスト・登坂絵莉(24)=東新住建=は、フィギュアスケート代表の宮原知子(19)=関大=の努力を間近で見ていた。昨年4月のリハビリ中に初対面。左股関節疲労骨折を乗り越え、初の五輪代表をつかみ取ったメル友へ「やり切って」とエールを送った。(構成・高木 恵)

 宮原さんとは昨年4月、JISS(国立スポーツ科学センター)でリハビリをやっている時に知り合いました。「宮原さんですか?」って話しかけたら「一緒に写真撮ってください」って言ってくれて。「やった!」って心の中でガッツポーズですよ。宮原さん、LINEやっていないんですよ。シブいですよ。なのでメールアドレスを交換しました。

 本当に黙々とリハビリをやっていました。中にはリハビリへの取り組みがいい加減な人もいるんです。でも宮原さんは違った。流されずに黙々と、その時にできることをやっていた。トレーニングルームで私がロープを上っている時に、宮原さんは鏡の前でジャンプや動きを確認していました。プールでは何回か一緒に泳ぎました。めっちゃ泳がされるんですよ。「何秒で帰ってこい」とか。男子のサッカー選手が真剣に泳いでも、隣の宮原さんの方が速くて。その選手、めっちゃ悔しがっていました(笑い)。

 五輪代表を決めた(昨年末の)全日本選手権は「応援してるよ」っていうメールに「ありがとうございます」って返ってきました。ドキドキしながらテレビで見ていました。もう、苦労人にしか出せない表情。小原日登美さん(ロンドン五輪48キロ級金メダル)のガッツポーズを思い出しました。(吉田)沙保里さんや(伊調)馨さんもすごいけど、その2人には出せないガッツポーズなんです。

 私の初めての五輪(16年リオ大会)は普通でした。すごいものを思い描いていたから、逆に「こんなもんなんだ」って。柔道の高藤直寿くん(60キロ級銅メダル)の「五輪はすごいものだっていうのを、自分でつくり上げてしまった」というコメントが心に残ったんです。「決めるのは自分だし。惑わされないようにしよう」と思って臨みました。

 五輪という舞台は一生に1回かもしれない。また次があるかも分からない。本当に悔いなく、思い切ってやってほしい。五輪の借りは五輪でしか返せないと言います。悔いを残すと「ああしておけば良かった」って、多分一生思うから。やり切ったっていう気持ちで帰ってきてほしいですね。

 ◆登坂 絵莉(とうさか・えり)1993年8月30日、富山・高岡市生まれ。24歳。9歳からレスリングを始め、16年リオ五輪48キロ級金メダル。世界選手権は13年から3連覇。昨年1月に左足親指付近、昨年末は左足首後方の三角骨除去の手術を受けた。6月の全日本選抜選手権で復帰を目指している。愛知・至学館大卒。152センチ。

 ◆宮原 知子(みやはら・さとこ)1998年3月26日、京都府生まれ。19歳。11、12年全日本ジュニア優勝。中学3年生だった12年の全日本選手権で3位に入り注目された。15年世界選手権銀メダル。GPファイナルは15、16年ともに2位。16年2月の四大陸選手権で主要国際大会初優勝。全日本選手権は14年から4連覇中。151センチ。

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