平野歩夢、2大会連続銀メダル“神”ホワイト追いつめた「悔しさも残っているが、全力でやれた」

スポーツ報知
銀メダルを獲得した平野は、日の丸を広げ笑顔を見せた(カメラ・相川 和寛)

◆平昌五輪第6日 ▽スノーボード男子ハーフパイプ(14日・フェニックス・スノーパーク)

 2大会連続の銀メダリストが、2人誕生した。スノーボード男子ハーフパイプ(HP)決勝で、平野歩夢(19)=木下グループ=が95・25点で銀。2回目のランで大技「ダブルコーク1440」の連続技に成功し一時トップに立ったが、最終滑走した王者ショーン・ホワイト(31)=米国=に97・75点で逆転を許した。複合個人ノーマルヒル決勝では、渡部暁斗(29)=北野建設=が銀で、冬季五輪の日本勢で通算50個目となるメダルを獲得。スノーボードも複合個人も2大会連続の表彰台は日本勢初だった。

 神技の応酬の末、平野の手にはまたも銀メダルが残された。歓喜にむせぶホワイトを静かに見つめた。最終滑走の王者にまくられた。だが、同じ銀でも重みは変わっていた。「悔しさも残っているが、全力でやれた。4年前とはレベルが全く別次元。楽しかった。今までイチ(一番)の大会だったんじゃないかな」。感情を抑えるように話した。

 史上最高難度の決戦だった。2回目のラン。軸をずらしながら縦2回転、横4回転する必殺の「ダブルコーク(DC)1440」の連続技を披露した。1月の「Xゲーム」で、世界で初めて実戦で成功させた大技を続けた。「自分が今できることは、精いっぱいつなげられた」。五輪史上初めて成功させ、95・25点の高得点をたたき出した。

 首位に立ったが、最後に王者に同じ連続技を決められた。97・75点。「素直に負けを認めている。彼(ホワイト)の滑りも完璧だった」。エアの回数を2回目の5度から6度に増やすつもりで臨んだ3回目のランで転倒。平野の2回目とホワイトの3回目はほぼ同じ難度の構成だったが、回転方向など技の多彩さで「2・50点」及ばなかった。

 15歳だったソチ。雪上競技最年少で銀を手にしてから、長かった。「苦しいことばかりの日々だった」。どん底は16~17年シーズン。未成年選手の飲酒や大麻使用が発覚し、全日本スキー連盟がスノーボードの活動を休止した。平野にも電話が殺到。携帯電話の連絡先は一度全て消去した。

 昨年3月の「USオープン」で転倒し、左膝と肝臓を負傷して3か月離脱。けがの位置が数センチずれていたら命を落とす恐れがあった。「いつ死ぬかもしれない」という覚悟と責任感が、平野を年齢以上に大人にした。「スノーボードを知らない人でも興味を持ってくれるのはやっぱり五輪。そこで金メダルを取るしかない」。そのための宝刀が、DC1440。リハビリから復帰後、氷河での練習で1日6時間以上滑り込みマスター。競技のレベルを引き上げた。

 “スノーボード界の神”に金メダルは譲った。雪辱の舞台は、ホワイトも出てくるであろう北京。「新しく目標がはっきりした。目標がさらに上に見つかるのはいい」。神を超えるための次の4年間が始まった。(林 直史)

 ◆平野歩夢(ひらの・あゆむ)アラカルト

 ▽生まれとサイズ 1998年11月29日、新潟・村上市。19歳。160センチ、50キロ。

 ▽競技歴 4歳の時、3つ年上の兄・英樹さんの影響でスケートボードを始め、その半年後からスノーボードを始めた。小学4年でプロ契約。用具メーカーの「バートン」とスポンサー契約を結んだ。

 ▽中学時から大活躍 14歳だった13年1月、北米で人気の総合競技大会「Xゲーム」のスーパーパイプで2位に入り、最年少メダリストに。実力者がそろった同3月のUSオープン・ハーフパイプでも2位。

 ▽学歴 新潟・開志国際高を卒業後、日大スポーツ科学部競技スポーツ学科に進学し、現在は1年生。平昌五輪フリースタイルスキー男子モーグル銅メダルの原大智は同級生。

 ▽貝好き つぶ貝が大好物。銀メダルだったソチ五輪では直前の壮行会でつぶ貝のすしを食べて英気を養った。趣味はカラオケ、漫画を読むこと。

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