【羽生結弦伝説】〈上〉小学2年生まで担当の山田真実コーチ「走って転んでまた走って」

スポーツ報知
金メダルを掲げ、2連覇ポーズの羽生

 フィギュアスケート男子で66年ぶりの五輪連覇を成し遂げた羽生結弦。スポーツ報知では2回にわたる緊急連載で、スケートとの出会いなどに迫ります。第1回は4歳から小学2年生まで仙台市でコーチを務めた山田真実さん(44)。

 山田さんの中に、羽生との出会いは衝撃として残っている。4歳の少年はヘルメットをかぶり、肘あてと膝あてを着用したまま、氷に向かって跳んでいった。「うわあ、って走っていって転んで。何も言わずに立ち上がって、また走って」。氷を恐れることなく、ダッシュと転倒を繰り返していたという。

 「その時点で違うと思った。普通はリンクを走ることはしない」。多くの子供は最初は立てない、歩けない、滑れない。だが羽生は走った。「バランス感覚が優れているから走れるし、転んで立つこともできる。小さい子にはまず転んだ時にどうやって立つかを教えるけど、それも全部すっ飛ばして自分で勝手に立ちました(笑い)」

 山田さんは、運動選手にとって大切なことに「怖がらないこと」を挙げる。「怖がっちゃうと、練習しても技術に制限ができてしまう。それがなかった」。半回転ジャンプで数か月、1回転ができるようになるまで、早い子でも半年かかるが「教えたらもうできていた。跳び方はぐちゃぐちゃだけど、回転はちゃんと足りていた。この子、すごいって驚きました」

 0回転、半回転、1回転とジャンプ指導は進んでいく。遊びでシングルアクセル(1回転半)を跳ばせたせたところ、初めてで回った。2回転ができるようになった後「ダブルアクセル(2回転半)やってみたら?」と勧めると、一発で回った。「回転の感覚がすごかった」。軸が乱れようが、とにかく回った。

 初めて宮城県大会に出場したのは5歳の時。演目は「草競馬」だった。滑り始めるとロックミュージシャンのように頭を振り続けた。大人顔負けの表情をつくり、自分の世界に入っていった。「彼独特の世界をつくるのが昔から上手でした」。この日の演技をテレビ観戦した山田さんは「何事もなく滑り切れて良かった。ソチより平昌の方が重みのある金メダルだったと思います」と感動していた。(高木 恵)

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