【七色コラム】川口能活「頂点守った羽生選手…連覇は素晴らしい」

スポーツ報知
フリーの演技を終え、雄たけびを上げる羽生結弦

 羽生結弦選手、小平奈緒選手ら本命とされていた選手が期待通り金メダルに輝いた。本当に素晴らしいことだと思います。

 (96年の)アトランタ五輪は、僕にとって初めての世界大会でした。それまでアジアの壁を越えられない時代が続いたので、本大会行きの切符を手にした瞬間、世界の強豪と対戦できるという喜びが爆発しました。一方で、初戦の相手がブラジルだったので大敗の恐怖もありました。5、6点取られてもおかしくない。100%力を出しても試合にならないかもしれない。でも僕らは挑戦者だったので、重圧は感じませんでした。「無」になってぶつかれたからこそ良い結果(1○0)が出たのだと思います。

 羽生選手は王者として挑み、再び王者になりました。彼が現地の空港に到着した時のインタビューを見て、金メダルを取ると確信しました。国民の期待を背負いつつ、過度な緊張やストレスを感じさせない表情。負傷後は表舞台に登場せず、回復に専念し本番に備えた。スケート連盟も含めたマネジメントが功を奏したのかなとも思います。

 僕はJ1、J2、J3、そして日本代表と経験してきましたが、今でも試合は緊張します。慣れた時点ですきが生まれている証拠だと思います。

 一番緊張した試合は(磐田に在籍した08年の)仙台とのJ1、J2入れ替え戦。勝てば残留、負ければ降格という大勝負。開始直後、シュートに反応してステップを踏んだら足が滑った。後にも先にも試合中に足が滑ったのは、あの1回だけ。それだけ緊張したし、試合前は生きた心地がしませんでした。何かを得るために勝つのではなく、何かを守るために勝つのは本当に難しいと体感しました。

 挑戦者としてメダルを狙う立場なら楽しめる人もいると思います。でも頂点を守る立場では、楽しむことなんてできないはず。だからこそ羽生選手の連覇は、歴史に残る偉業だと思います。(アトランタ五輪代表GK、W杯4大会出場)

 ◆川口 能活(かわぐち・よしかつ)1975年8月15日、静岡・富士市生まれ。42歳。清水商(現・清水桜が丘)3年で全国高校選手権優勝。94年に横浜Mに入団し、97年に日本代表デビュー。ポーツマス(イングランド)、ノアシェラン(デンマーク)を経て2005年に磐田に移籍。J2岐阜を経て、16年にJ3相模原へ移籍。国際Aマッチ116試合出場。180センチ、77キロ。家族は妻と1男1女。

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