マリリン、2人の亡き恩人のため「頑張らなきゃ」

スポーツ報知
5エンド終了後、鈴木(左)らチームメイトと握手する本橋(中は藤沢)

 韓国に負けはしたが、自身3度目の五輪で銅メダルの期待がかかるカーリング女子日本代表「LS北見」の本橋麻里(31)には、2人の亡き恩人がいる。北海道・常呂町(現北見市)に競技を広めた第一人者で、17年に死去した常呂協会初代会長の小栗祐治さん(享年88)。もう一人は本橋が18歳のときチーム青森行きを支え、07年に亡くなった元日本協会競技委員長の阿部周司さん(享年58)=06年トリノ、10年バンクーバー五輪女子代表監督で本紙評論家・阿部晋也さんの父=。2人への感謝の思いは尽きない。(小林 玲花)

 「2人と出会わなかったら、ここまでカーリングをやってこられなかった」。恩人はと聞かれれば、必ず小栗さんと阿部さんを挙げる。12歳の頃。小栗さんと出会いカーリングを知った。陸上少女が夢中になった。「基礎と楽しさを教えてくれた」。リンクの外では「おじいちゃん」のような存在だ。2010年、チーム青森をやめて北海道に帰り、「太陽のように明るい常呂っ子のチームをつくりたい」と、「LS(ロコ・ソラーレ)北見」を創設しようとした時には小栗さんに真っ先に報告した。

 すると、「もう、頑張らなくていいんだぞ」と返ってきた。驚いた。「えっ!? これから頑張ろうと思ってたのに…」。小栗さんの真意は「自分のために、これからの人生をどう進むか考えなさい」ということだった。06年トリノ、10年バンクーバー五輪は「多くの人の夢を背負いながらやってきた部分があった。責任感とか苦しさも感じていた時もあった」と明かす。

 「自分の思うままに進みなさい。頑張らなくていいんだよ」。意味を理解すると、心が軽くなった。冷静に考えた末にLS北見をたちあげた。「このチームで8年やってこられたのも、小栗さんの言葉があったから」とうなずいた。

 「周司さん」と呼んでいた阿部さんと出会ったのも12歳の時。常呂町でカーリングを続ける環境が整わなくなったとき「ちょっと育てたい子がいる」とチーム青森に推薦してくれた。18歳で一人、不安もあった青森行きを「頑張れるところまで頑張れ」と背中を押してくれた。「常呂以外の景色も見られて、いろんな発見ができた。チームづくりのベースは青森で勉強してきたこと。今に生きている」と本橋は言う。

 阿部さんはトリノ五輪後の07年に死去した。本橋は青森に残り、ホテルの受付で生活費を稼ぎながらカーリングを続けたが、有名になりすぎて過度のストレスを抱えた。10年五輪前には競技に対する気持ちが揺らいだ。引き留めたのが阿部さんだった。「周司さんが枕元に立って『頑張れよ』って。頑張らなきゃって思った」

 今だからこそ、2人に聞きたいことがある。「まさか北見から五輪チームが出るなんて思ってたのかな」。答えは返ってこないが「喜んでくれているかな。五輪では多分、一番いい席から見てくれていると思う。これからも『ちゃんとやれよ!』とは言われると思う」。残るは3位決定戦。亡き恩師へ、メダルという最高の形で恩返しする。

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