羽生結弦、V3狙う北京五輪は主将「もし任されたときは光栄」

スポーツ報知
羽生は花束を贈られ笑顔を見せた

 平昌五輪に出場した日本選手団が26日、成田空港着のチャーター機で帰国した。フィギュアスケート男子で66年ぶりの連覇を果たした羽生結弦(23)=ANA=は、2022年北京五輪で選手団主将としてV3に挑戦することに前向きな意向を示した。3連覇を果たせば同種目では94年ぶりの偉業。冬季五輪最多となる13個のメダルを獲得した選手団を出迎えに、空港には14年ソチ五輪、16年リオ五輪を超える約1000人のファンが詰めかけた。

 日本中を沸かせたヒーロー、ヒロインの凱旋に成田空港が熱気に包まれた。15時35分、日本選手団がゲートから姿を現した。主将を務めたスピードスケートの小平奈緒を先頭に行進。羽生が登場すると、ひときわ大きな声援が降り注いだ。

 「本当にたくさんたくさん、応援をいただいた。連覇はとても大変だったけど、みなさんの応援の中で(金メダルを)取れたことが一番大きい」。帰国便が非公表にもかかわらず駆けつけた約1000人のファンに、感謝の笑顔を振りまいた。近年ではソチ五輪の約900人やリオ五輪の数百人を超えるフィーバーが待っていた。羽生が好きな「くまのプーさん」のぬいぐるみを持参したファンも多くいたが、空港警備側から異例の「投げ込み禁止令」が出されるほどだった。

 都内に移動しての凱旋会見では、新たな目標ができた。「みなさんからの『おめでとう』が自分の幸せになって、その自分の幸せがみなさんの幸せになったらいい。そんな演技をしたいし、いろんなチャレンジをしていきたい」と目を輝かせた王者に「チャレンジということで、北京で主将になるのはどうか?」という質問が飛んだ。

 困惑顔で「えーと…」と5回ほど繰り返し、気を取り直して言い切った。「もし任されたときは光栄。そこに行きつくまでに成績を積んでいないと(主将とは)言われないので、成績を残さないといけない。気を引き締めさせられたというか、後ろから火をつけられた」。北京は27歳で迎える。3連覇となれば、フィギュア男子では1920年アントワープ大会から28年のサンモリッツ大会まで達成した、ギリス・グラフストローム(スウェーデン)以来94年ぶりの偉業だ。歴史をつくってきた男には、格好のモチベーションとなり得る。

 平昌では小平が冬季の主将では初の金を獲得。「冬の主将は勝てない」というジンクスを葬り去った。27日には都内で代表選手団の解団式に臨んだ後、東京ミッドタウンで帰国報告会に出席を予定。その後もたて続けに会見のスケジュールが入っている。今後は痛めている右足首を完治させ、その先に4回転アクセルなど前人未到の技の習得を見据える。「(リハビリや治療の)つらい時期を乗り越えて前に進めたらいい」。氷上の絶対王者が、次の金字塔に目を向けた。(太田 倫)

 ◆夏季五輪の日本代表主将の成績 1912年ストックホルム大会以降出場した22大会のうち、主将で金メダリストとなったのは64年の小野喬(体操)、72年の中村祐造(男子バレーボール)、76年の加藤沢男(体操)、84年の山下泰裕(柔道)、88年の斉藤仁(柔道)、92年の古賀稔彦(柔道)の6人。銀メダリストは28年の高石勝男(競泳)、56年の竹本正男(体操)、16年吉田沙保里(レスリング)の3人。主将での金メダルは92年の古賀が最後で、6大会連続で逃している。

 ◆グラフストロームとは スウェーデン・ストックホルム出身で、五輪では20年アントワープから男子シングル3連覇。32年レークプラシッドでは銀メダル。キャメルスピンの原型を考案し「グラフストロームスピン」と呼ばれた。38年に44歳の若さで死去。

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