那須雪崩事故から9か月…いまだ謝罪なし、消えない遺族の怒り

スポーツ報知
2016年、北岳山頂に立つ高瀬淳生さん(遺族提供)

 栃木県那須町で3月27日、登山講習中に起きた雪崩事故は、県立大田原高校の生徒7人と教員1人が亡くなる大惨事だった。県教委が設置した検証委員会は10月に出した最終報告書で最大の要因を「危機管理意識の欠如」として、講習会を主催した県の責任を認めたが、遺族の悲しみと怒りは、今も消えていない。高校1年の高瀬淳生(あつき)さん(16)を失った母・晶子さん(51)=栃木県矢板市=が取材に応じ、今の思いを語った。

 3月27日に起きたことを思い出す度に、晶子さんは涙が止まらなくなるという。搬送された病院に駆け付けた夕方には、人工呼吸器をつけた淳生さんの体は、すでに冷たくなっていた。医師は必死で心臓マッサージを続けていたが、覚悟を決めた時、晶子さんは医師に「淳生の臓器を提供することはできますか」と尋ねていた。

 「何でそういう言葉が出てきたのか分かりませんが、淳生だったら、きっとそうしたかったんじゃないかと思ったんです。本人は将来は人の役に立つ仕事をしたいと思っていましたが、16歳で、まだ何もできていませんでしたから」。きれいなままだった息子の体を誰かの役に立てたい。その願いはかなえられ、移植すれば視覚を取り戻すことができる淳生さんの角膜が後日、栃木県アイバンクに提供された。

 身長が185センチあった淳生さんは、中学ではバレーボール部で活躍。スポーツはもちろん、ピアノやギターなどが好きで友達とバンドを組んでいた。東日本大震災の時には小学生だったが、断水した親戚宅に水を運びに行くような優しい子だった。6年前に肺がんで亡くなった父・昌二さん(享年46)が闘病中に回復の願掛けで、叔父と登った日光・男体山が山との出合い。頂上で見たご来光に感激し、高校入学後は山岳部へ。登山講習会が終わった後は、自転車レースの「ツール・ド・もてぎ」を観戦して、ピアノ発表会で演奏を披露し、お気に入りだった「ももいろクローバーZ」のコンサートに行くはずだった。

 「どうして淳生の未来が奪われなくてはいけなかったのか」。晶子さんは、事故の真相が知りたかった。登山講習会は約60年続く県の伝統行事だったが、晶子さんが調べてみると、7年前にも那須岳での講習中に雪崩が起きていたことが分かり、追及した。7年前の責任者は、今回の事故が起きた講習会にも参加していたが、記者会見ではまったく触れようとしない。教訓としておくべきその事案の記録が残されていなかったことも判明。悲しみの上に怒りと不信感がのしかかっていく日々だった。

 検証委員会は10月15日に最終報告書を公表。事故の最大の要因を「計画全体のマネジメントと危機管理意識の欠如」として「予見可能性はあった」と断じた。にもかかわらず、晶子さんら遺族たちに対する当事者や県の責任者からの正式な謝罪は、いまだにない。

 「淳生はクラブの顧問の先生(講習会の委員長)が大好きで慕っていました。感謝をしていますが、取り返しのつかない事故を起こしたことは別です。犯してしまった罪は償ってほしい。もう再発防止策の話を始めていますが、まず反省を示すことの方が先なのではないでしょうか」

 事故から9か月になるが、栃木県警は今も捜査中。検証委の報告書をもとに、業務上過失致死の疑いで立件を視野に調べを進めているが、結論が出るのは年明けになりそうだ。この事故はまだ終わってはいない。

 ◆登山講習中の悲劇…00年以降最大の惨事

 栃木県那須町の雪崩事故は3月27日午前8時30分ごろ、同町湯本の那須温泉ファミリースキー場の上部で発生した。登山の講習会に参加していた栃木県立大田原高校の16~17歳の生徒7人と29歳の男性教員が死亡。2000年以降の雪崩事故では最大の惨事となった。

 講習会には他に宇都宮、真岡、真岡女子、那須清峰、矢板東(以上県立)、矢板中央(私立)7つの高校の生徒51人と教員11人の合計62人が参加していた。

 事故の当日は、茶臼岳(1915メートル)の山頂に登る予定だったが、周辺に雪崩や大雪注意報が発令されていたため、高校側は早朝に登山の中止を決定。ゲレンデ付近で、雪をかき分けて歩く「ラッセル訓練」に予定を変更した。第2ゲレンデ上方の樹林帯で訓練を行い、茶臼岳山頂へと続く稜線付近に出たところで、先頭にいたグループが雪崩に見舞われた。参加者たちは、遭難した際に位置情報を知らせるビーコン(電波発信機)は身につけていなかった。

 事故後には、ラッセル訓練を行っていた場所が雪崩危険区域であったことが発覚。また雪崩発生後の消防通報が遅れたことなどから連絡態勢に不備があった可能性も指摘され、主催した県高校体育連盟の責任を問う声が上がった。

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