【王手報知】引退決めた蛸島女流六段の願い…女流棋界をもう一度一つに

スポーツ報知
今月15日、女流名人戦予選で勝利した蛸島彰子女流六段

 今期限りでの現役引退を表明した将棋の蛸島彰子女流六段(71)が最後の戦いで奮闘している。残る女流王将戦、女流名人戦で敗退した時点で半世紀を超える女流棋士人生に終止符を打つが、女流名人戦では予選準決勝に進出。棋界を沸かせている。1967年に史上初の女流棋士となったレジェンドが明かす引退後の願い―。現在、日本将棋連盟と日本女子プロ将棋協会(LPSA)に分かれている女流棋界を統合する夢を描いている。

 「あっという間の人生ですね。子供扱いされてるな~、と思ってたら」。若々しい声で蛸島は笑う。「もう最後だからプレッシャーもないですし、自分の将棋をのびのび指すだけですよ」

 女流名人戦、女流王将戦で敗れた時点で現役生活を終えることになるが、今月15日の女流名人戦予選2回戦では実力者の千葉涼子女流四段(37)を相手にゴキゲン中飛車の最新型を指しこなして快勝。自らが持つ女流棋戦最年長勝利記録を71歳9か月に更新した。「あの一局で辞められてたらいちばん良かったんですけど。ホント、まさかです」

 足はもう長時間の正座に耐えられない。生涯勝率5割を守る美学もあって引退を決断したが、現役である限りは勝負師のままだ。「対局前日は夜中に目が覚めちゃうんです。私は明日、恥ずかしくない将棋を指せるだろうかって」

 小学5年の頃。将棋が大好きな父に教わり、駒に触れるようになった。「すぐ盤上の深遠さに魅せられました。2歳の時に母を亡くして、病気がちだった父は、私を強く生きていく女性に育てたいと思って将棋を教えてくれたんです」

 将棋連盟の子供教室「初等科」を経て、棋士養成機関「奨励会」に入会。天才少年たちに交じり、たった一人、女子として挑戦を始めた。「周りは男の子だけ。徹夜で将棋を指すような仲間には入れないですから、女の子の将棋友達が欲しかったです」。女性が男性に交じって真剣勝負の将棋を指す―。今は常識になった風景も蛸島が先駆者として切り開いた。

 勝率5割で昇級という特例の規定はあったものの、周囲の予想を上回って初段まで昇段。20歳で結婚を機に退会した。1967年に史上初の女流棋士になったが、当初は一人きり。勝負の場はなく相手もおらず、NHK杯の棋譜読み上げ係で毎週テレビに映ることで知られるようになった。

 転機は74年。初の女流棋戦として女流名人位戦(現・女流名人戦)が誕生した。第1期から3連覇し、黎明(れいめい)期を代表する女流棋士になった。「たった6人で始めて未知の世界を歩んで今があると思うと、やってきたことは認められたんだという感慨はあります」。1男1女を育てながら勝負を続けた選択も、女流棋士として先駆的だった。

 引退後の夢として胸に秘める思いがある。女流棋界の統合だ。2007年、日本将棋連盟所属の女流棋士が待遇改善などを求めて独立を目指した。当初は大多数が賛成したが、途中から慎重論も出始め、紆(う)余曲折の末、連盟に残留する多数派と新団体を設立する少数派に分かれた。蛸島は「前に進もうとすることを応援したくて」日本女子プロ将棋協会(LPSA)の設立に加わった。

 10年が経過した今、両団体は良好な協力体制を敷いている。普及面で互いを補完する特長も持っているが、ファンの間では再統合を望む声は根強い。「ふたつあってお互いに成長する形もありますけど、私はひとつになって発展していく形になればいいなと思ってます」

 引退という節目に際して発したパイオニアの声には、純粋な願いが込められていた。(北野 新太)

 ◆蛸島 彰子(たこじま・あきこ)1946年3月19日、東京都杉並区生まれ。71歳。61年、棋士養成機関「奨励会」入会。66年に退会。67年、史上初の女流棋士となる。74年に初の女流棋戦として始まった女流名人位戦(現・女流名人戦)で初代女流名人に。タイトルは女流名人4期、女流王将3期の通算7期。座右の銘は「続ければ人生」。通算333勝326敗。家族は夫と1男1女。

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