浪江の米、水を使った浪江の地酒が“復活”「酒はその土地の文化につながっていく」

スポーツ報知
故郷・浪江町の米と水を使って造った日本酒を手にする鈴木酒造の鈴木大介さん

 2011年に発生した東日本大震災は11日で7年を迎える。震災前に福島県浪江町で酒造業を営んでいたものの、地震と津波による工場倒壊と福島第1原発事故のために地元を離れ、現在は山形県長井市で「鈴木酒造店 長井蔵」を構える鈴木大介さん(44)は今月末、震災後初めて浪江町の米と水を使った日本酒を発売する。「地元の酒を後世に残すことは、人のつながりを残すこと」との思いで、故郷の味を“復活”させた。(高柳 哲人)

 後ろ髪を引かれる思いで故郷を離れてから7年。山形で酒を造り続けてきた鈴木さんが、かつての味を取り戻した。

 鈴木さんが、浪江産のコシヒカリを使った酒造りを始めたのが2014年。米と並び欠かせない水は山形のものを使用し、完成した酒は「希望」という名を付けて浪江町に「ふるさと納税」をした人に贈っていた。そんな中、昨年3月に浪江町の一部が避難解除に。「『解除を機に、売る酒も造りたい』という話が出ました。それで『どうせやるなら、浪江の水で』となった」と鈴木さん。こうして“純浪江産”の酒造りがスタートした。

 使用した米は20俵(約1・2トン)。水は取水場から1トンを運び、仕込みなどに使った。浪江町内には4か所の取水場があるが、使ったのは最も水質がいいとされる場所。かつて鈴木さんが同町で酒を造っていた時の井戸と同じ水系だった。「だからなのか、完成した酒をうちの昔の味を知っている人と飲んだ時に『浪江地区の酒ができたね』という話になったんです」。その瞬間を思い出したのか、鈴木さんの顔がほころんだ。

 前経営者から蔵を引き継いだ際、「これまで造っていた酒をやめないでほしい」と頼まれた。「『気持ちは、すごく分かりました。その銘柄がなくなるということは、地元のアイデンティティーが消えるということ。浪江を離れた自分も同じ気持ちだったからです」。現在、同酒造では以前から造っていた「磐城壽(いわきことぶき)」と、前経営者から受け継いだ「一生幸福」が主力商品となった。

 日本酒は「人をつなぐ力」があると信じている。「浪江のコミュニティーが切れかかっている今、誰がどうやってつなぐのか。その時に、酒は大きな役割を示すと思います。地元の人間が集まった時に、地元の酒を飲む。その土地の文化につながっていくものなんです」と鈴木さんは強調する。

 完成した酒は、4合瓶で約750本分。一部はこれまで通り「希望」の名でふるさと納税に使われ、残りは別の名(8日現在未定)で一部避難解除から丸1年となる今月31日から取引先や浪江町内の店舗で発売予定。「最終的には浪江と長井、2つの拠点で酒造りをすることができれば」と鈴木さんは、その日が来るまで前に進み続ける。

 ◆浪江町居住人口は登録数の3%

 鈴木さんの蔵があった浪江町は、福島県中部の太平洋沿いの町。町役場は爆発事故を起こした福島第1原発からは8キロほどしか離れていない。

 震度6強の揺れと15メートルを超える津波のため甚大な被害を受け、6平方キロメートルが浸水した。

 震災当時の人口は約2万1500人だったが、福島県災害対策本部によると死者は関連死419人を含む601人(5日現在)。福島第1原発の事故により、町内全域に避難指示が出された。昨年3月31日、居住制限区域および避難指示解除準備区域において、避難解除が決定した。

 町のホームページによると、2月末現在で1万7954人が住民登録をしている。ただ、その多くが町外に住んでおり、居住人口は351世帯、516人と、登録数の3%弱にとどまっている。

 ◆東日本大震災 2011年3月11日午後2時46分に発生した、牡鹿半島の東南東約130キロの三陸沖深さ約24キロの地点を震源とするマグニチュード(M)9.0の地震。最も激しい揺れを記録した宮城県栗原市で震度7を観測した。地震とそれに伴う津波による被害は死者1万9630人、行方不明者2569人(18年3月1日現在)。震災と福島第1原発(福島県双葉郡)の事故による避難者は最大16万5000人近くにのぼった。

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