【東京ドーム30年】開業元年に夢のプロ野球12球団トーナメントがあった

スポーツ報知
1988年3月30日付「報知新聞」1面

 日本初の全天候型多目的スタジアム、東京ドーム(東京・文京区後楽)が今年30周年を迎える。1988年3月17日にオープニングセレモニーが行われ、翌18日に巨人・阪神のオープン戦がこけら落としイベントとなった。今年は巨人の宮崎キャンプが60年、夏の甲子園(全国高校野球選手権)が100回大会と節目が重なるが、東京ドームもメモリアルイヤーだった。その30年の歴史をスポーツ報知の紙面で振り返る。

 ◆1988年3月30日付1面

 東京ドーム元年(1988年)のプロ野球開幕戦は、4月8日の巨人・ヤクルト戦(夜に日本ハム・ロッテ戦)だったが、それに先立つ3月29日から4月3日にかけてセ・パ全12球団による初のトーナメントが行われた。正式名称は「サッポロビール プロ野球トーナメント大会」。報知新聞社などが後援した。

 29日の記事にはこうある。「東京ドーム内に新しくオープンした野球体育博物館の建設資金を集めるのが目的の史上初の試み。そして各チームにとっては日本初の屋根付き球場でのプレーに慣れる絶好の機会。一石二鳥のトーナメント大会―」。

 やはり、未知なドームへの不安が各チームにはあった。これまでも紹介したように、キャンプ中に中日・星野仙一監督が「騒音がうるさい」「ボールが見えない」と新球場を「痛烈批判」し、「何とかせぇ巨人」と吠え、西武・森祇晶監督は「あの球場に慣れたチームが絶対有利になる」と本拠チームの巨人と日本ハムを優勝候補に挙げて皮肉ったほどだったのだ。

 1回戦は中日-阪急、大洋-ロッテ、阪神-日本ハム、ヤクルト-南海。これに2回戦からシードの西武、広島、近鉄、巨人が加わる。

 29日の1回戦第1試合は中日が4-11で阪急に大敗。前年に巨人戦でプロ初先発ノーヒットノーランという偉業をやってのけた中日2年目の近藤真一(現・真市、中日投手コーチ)が初回にKOされたのだ。翌日の1面は「星野激怒」「屈辱初ドーム」「先発 近藤 6失点 29球轟沈」「竜投壊滅」「話にもならん 試合後大荒れ」の見出しが躍った。夢のトーナメントは波乱の幕開けとなった。

 今年1月4日に膵臓(すいぞう)がんのため70歳で亡くなった星野仙一さん。巨人、そして東京ドームに闘魂を燃やしていたことがうかがえる。開幕前からのこの熱さがこの年のセ・リーグ制覇(監督として初優勝)につながるのだが、それはまた別の物語で…。

(資料探偵・酒井 隆之)=毎週土曜日午前9時に配信=

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