東日本大震災の津波で漂流、ハワイで発見の“奇跡の船”が地元・雄勝町波板地区で保存へ

スポーツ報知
第2勝丸の模型を手にする保存会の伊藤武一会長

 東日本大震災の津波で漂着した米ハワイ・オアフ島から2016年3月に地元の宮城県石巻市に帰港した小型漁船「第2勝丸(かつまる)」の保存施設の完成式典が11日、かつての所有者が住んでいた同市雄勝(おがつ)町の波板地区で行われる。地元保存会の会長・伊藤武一さん(70)は「記憶が風化していきがちな中で、小さな船の存在は重要だと思っている。保存施設がいつまでも震災について語り合う場になれば」と願っている。(高柳 哲人)

 石巻市街から車で1時間弱。山あいの小さな集落に、日本とハワイを往復する“長旅”をした小さな漁船の保存施設が完成する。

 2015年4月22日、ハワイ・オアフ島東部のサンディー・ビーチで米国人女性が小舟を発見。石巻市雄勝町に住んでいた伊藤恭一さん名義の「第2勝丸」が津波の影響で約6000キロ離れたハワイまで流されていたことが判明した。恭一さんは03年に病気で死去しており、妻・たけのさん(当時68歳)が震災当時、波板地区に住んでいたが、津波で今も行方不明になっている。漁船はその後、宮城水産高の生徒らが乗った実習船「宮城丸」でホノルルから運ばれ、16年3月11日に石巻工業港に到着。その日のうちに波板地区に運ばれ、海岸沿いで屋外展示がされていたが、傷みがひどくなっていた。

 「この2年間も、『一刻も早く屋内保存を』という思いはあって、寄付を募ったり、市に建設のお願いをしていたが、年月が経過していたこともあり、思うように集まらなかった。もう待ったなしということで『自分たちの手で造るしかない』と思ったんです」と保存会の伊藤武一さん。150万円の費用のうちの不足分は保存会会員が出資した。

 震災前は50人ほどの集落だった波板地区では4人が犠牲になり、たけのさんら2人が行方不明になっている。その後も居住者は減り続け、現在は半数以下の23人。伊藤さんは「(雄勝)町の中心部に保存場所を造る案もありましたが、波板が忘れられた場所になってしまうのはどうしても避けたかった。この場所で保存することに意味があると思ったんです」。伊藤さんによると、同町には東日本大震災の「遺構」となるものが一つも残っていないという。それだけに、第2勝丸の存在は重要とみている。

 東北大の学生ボランティアらが第2勝丸や波板地区のPRに協力してくれているという。「私も70歳で先は見えている。だから、今できることは道しるべを作ること。震災の記憶が徐々に風化していくのは、ある意味仕方がない。その中で、第2勝丸という『実物』と『奇跡の物語』があるのは大きいと思います」と伊藤さん。今回完成した建物はあくまでも「暫定」で「今後も市に働きかけて、休憩スペースなどもあるような充実した施設にしていければ」と話している。

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