【#平成】〈4〉「コケちゃいました」「今まで生きていた中で一番幸せ」バルセロナ五輪で生まれた2つの名言

2018年6月2日11時0分  スポーツ報知
  • 表彰式で金メダルとともにスマイルを見せた岩崎恭子さん(左)と、ゴール直後に中山竹通さん(左)と健闘をたたえ合う谷口浩美さん

 天皇陛下の生前退位により来年4月30日で30年の歴史を終え、残り1年となった「平成」。スポーツ報知では、平成の30年間を1年ごとにピックアップし、当時を振り返る連載「♯(ハッシュタグ)平成」を掲載する。第4回は平成4年(1992年)。

 平成4年のバルセロナ五輪で2つの名フレーズが生まれた。優勝候補ながらまさかの転倒で8位に終わったにもかかわらず「途中で、こけちゃいました」とにこやかな笑顔を見せた男子マラソンの谷口浩美さん(58)。14歳のサプライズ金で「今まで生きてきたなかで一番幸せ」とうれし泣きした競泳女子200メートル平泳ぎの岩崎恭子さん(39)。バブル崩壊直後、元気をなくしつつあった日本に癒やしをもたらした。2人の証言をもとに名言の裏側に追った。(樋口 智城)

 ◆谷口浩美さん、教員試験にコケて誕生

 転倒したのは20キロ過ぎの給水所だった。「水を右手で取ってヨシと思ったら、左足が上げられない。カカト踏まれてました」。つんのめった後ろの選手から背中を押され、5メートルほど吹っ飛ばされた。

 倒れる間、ずっと自分を冷静に見つめていた。「どうすればケガしないかな」「左にねじれば何とかなるか」「あっ、左足の靴が給水所の机の下に落ちた」「この後どうしよう、裸足で行くか」「せっかく路面の熱さ対策に分厚い靴作ってもらったんだから、履いて走らなきゃ」。後日ビデオを見返すと、倒れる数秒の間、走馬灯のごとく何を考えていたか覚えていた。「転倒後に脱げた靴を見ると、どうぞ履いて下さいって向きで鎮座。やった、ラッキーってな気持ちでしたよ」

 怒りの気持ちはなかった。「マラソンには想定外のことが起きるもの。踏まれたのも『急に風が吹いた』みたいな予想できない条件の1つだと思ってましたから」。転倒で30秒ロスし、先頭集団まで150メートルの差がついた。「怒りより、どう追いかけるかの方が大事だった」

 レースは8位でゴール。「精いっぱいだったな、やること全部やったから仕方ない」と感じていたが、ここでも冷静に自分の立場を分析していた。「日本のみなさんには『言い訳』をしなきゃいけないなと思った。優勝候補だったから期待されていたでしょうが、理由があって8位なんですよ~って」。控室に戻る途中にNHKのアナウンサーに話しかけられた谷口さんは、テレビで自分の身に起きたすべてが映し出されていたとは知らず、丁寧に経緯を説明した。

 「途中で、こけちゃいました」

 負けても笑顔の精神力に、日本中のお茶の間が驚がくした。「いやいや、私どんなレース後でもあの顔面なんですが…」

 常に自分を客観視していたからこそ生まれた名言。「そういう境地に至ったのも理由があるんです」と打ち明ける。日体大卒業後は現役を続けるつもりはなく、高校の指導者を目指したが、教員試験に不合格。受験準備のため旭化成に2年間だけの約束で入社した。監督修業のため、自分の走りを分析して日誌に書く日々。第三者的に「競技者である自分」を見る習慣ができた。

 2年目に初マラソンだった別府大分毎日マラソンで優勝。その後2度目の教員試験に挑んだが、またも不合格だった。「真偽不明の『才能を惜しんだ会社がウラで手を回したから落ちた』とのウワサも流れて。じゃあ現役続けるしかないかーってなった」。試験に“こけちゃった”ことで、五輪への道が開けた。

 転倒がなかったらメダルは取れていたと断言する。「森下と2人で走っていたファン(韓国の黄永祚=ファン・ヨンジョ)が40キロの下り坂でスパートして優勝したんですが、私の想定した地点と全く同じ。描いていたレース、彼がやったんです」。だが、後悔はない。「むしろ8位で良かった。ここまでみんなに覚えてもらうことができたんだもん」

 最後に「五輪後の人生でこけちゃった経験、あります?」と聞くと、間髪入れずに答えが返ってきた。「そりゃ、週刊誌に不倫騒動が取り上げられて東農大の監督辞めざるを得なくなったことですよー。結局離婚して、当時書かれた相手が今の女房」。講演依頼が来るたび「昔ヘンなこと書かれましたけどいいですか」と丁寧に経緯を説明しているのだという。

 ◆谷口 浩美(たにぐち・ひろみ)1960年4月5日、宮崎県南郷町(現・日南市)生まれ。58歳。小林高から日体大に進み、83年に旭化成入社。91年、東京世界陸上の男子マラソンで日本人史上初の金。92年バルセロナ五輪8位、96年アトランタ五輪19位。97年に現役引退。旭化成コーチ、沖電気の監督などを経て11~12年に東農大陸上競技部助監督に就任。17年からは宮崎大の教育・学生支援センターで特別教授として勤務している。

 【バルセロナ五輪男子マラソン】
 日本からは前年の東京世界陸上の覇者・谷口浩美、88年ソウル五輪4位の中山竹通(ダイエー)、森下広一(旭化成)が出場し、全員が優勝候補。序盤はスローペースで進み、30人ほどの先頭集団から20キロ過ぎの給水で谷口が転倒して脱落した。中間点過ぎから集団がばらけはじめ、33キロからは森下と韓国の黄永祚の一騎打ち。40キロ付近で黄がスパート、そのまま逃げ切った。22秒差で森下が銀メダル。中山は4位だった。

 ◆岩崎恭子さん、最高の幸せって1つじゃない

 何も考えずに出た言葉だった。「正直、いまだに思い出せないんですよ。金メダルとって5分以内のインタビューで興奮状態でしたからね」。ブームになっていると知ったのは、日本に帰ってからだった。

 普通の少女が一気にスターへ。急激な環境の変化に14歳の心は揺れ動いた。帰国翌日、テレビのコメンテーターが「14年しか生きてないのに生まれて一番って」と笑っているのを見て「こんな大人にはならない!」と憤った。道行く人から「私、何年生きててもいいことなかったわ」と言われたことも。いつしか五輪やメダルは嫌なものになった。「目標はないけど練習行かなきゃって感じだからタイムなんて伸びませんよね」

 吹っ切れたのは2年後。広島アジア大会の代表に落選し、米国遠征したときだった。「サンタクララ国際という大会で同世代の稲田法子ちゃんが日本記録出したんです。何やってんだ私って思いましたね」。状況は自分と同じなのに、友人は個人の力を伸ばすことだけを考えていた。「周囲じゃなく、自分がどうしたいかが問題なんだ」。次の五輪を目指す覚悟が決まった。

 アトランタ出場が決まったとき、再び「今まで生きてきたなかで一番幸せ」と感じた。11年に娘が生まれたときも「今まで生きてきたなかで一番幸せ」だった。「最高の幸せって、人生で1つじゃなかった」。14歳のときには分かるはずもなかった真実をかみしめながら、今はインストラクターとして子どもたちに泳ぎを教えている。

 ◆岩崎 恭子(いわさき・きょうこ)1978年7月21日、静岡県沼津市生まれ。39歳。92年のバルセロナ五輪競泳女子200メートル平泳ぎで世界ランク14位ながら競泳史上最年少で金メダル。96年、アトランタ五輪同種目10位。98年、20歳で現役引退。09年に元ラグビー日本代表の斉藤祐也(豊田自動織機)と結婚し、11年に第1子となる長女を出産した。

 【競泳女子200メートル平泳ぎ】
 当時の世界記録保持者アニタ・ノール(米国)が絶対的存在で、岩崎は世界ランク14位で無名の存在。序盤からノールが飛び出し、岩崎は150メートルの折り返しで約1秒差の2位。猛烈な追い上げで残り20メートルで並び、残り5メートルで抜き去った。2分26秒65は当時の五輪新記録。14歳6日での金メダルは現在も日本人最年少、競泳史上最年少。

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