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ノーベル賞作家カズオ・イシグロさんの「忘れられた巨人」を読んでみよう

2017年10月6日16時0分  スポーツ報知
  • カズオ・イシグロさん(ロイター)

 2年前、認知症患者の男性と、介護するその家族を描いた小説「長いお別れ」(文芸春秋)を出版した作家の中島京子さんをインタビューした。「認知症」という暗くなりがちなテーマをもユーモラスに、かつ感動的に描いた作品だ。取材後に中島さんに最近読んだお勧めの1冊を聞いてみた。迷わずに挙げたのが、日系英国人作家、カズオ・イシグロさんの「忘れられた巨人」(早川書房)だった。

 戦中の生活を描いた「小さいおうち」をはじめ、フィクションでありながらもリアリティーを感じさせるのが中島さんの作風の特徴だからお勧めの1冊もそうなのかと思いきや、どうもファンタジー小説のようだった。ふだん現実感のない小説を読み慣れない者としては、あまり興味をそそられなかったが「まあ、中島さんがお勧めするぐらいだから」と読み始めてみた。

 舞台は6、7世紀頃のブリテン島(現在のグレート・ブリテン島)。伝説のアーサー王(実在したかは不明)の統治後、アーサー王と同族のブリトン人(ケルト系)たちの小さな集落で暮らしていた老夫婦が主人公だ。あまり周囲の住民とうまくいっていな老夫婦は、離れて暮らしている息子を探す旅に出る決意を固める。

 しかし、ブリテン島は平穏な世界ではなく、旅は老夫婦にとって楽なものではなかった。異民族で言葉も文化も信仰も違うサクソン人(ゲルマン系)も暮らしている。ファンタジーだけに島には鬼や妖精、竜などが徘徊(はいかい)しており、老夫婦は、吸い込むと記憶を失ってしまう霧に包まれている。

 中島さんがお勧めした理由で合点がいったのは「老夫婦」「消えていく記憶」という2点で「長いお別れ」と共通するということだ。もっとも、ブリテン島の老夫婦の記憶を奪っているのは竜が吐く息なわけだが…。

 イシグロさんがこの作品で描いたテーマは「人間にとっての記憶とは何か」ということのようだ。個々の人間や社会にとっては、本当に忘れてしまった記憶、忘れたい記憶…とさまざまな記憶があるはずだ。これは人類すべてに共通するはずで、2年前に来日したとき、イシグロさんは「日本人にとっての戦争の記憶について描こうという思いはあったのか」というような質問を何度か受けている。イシグロさんの答えは「物語の世界を読者が、鏡に映すように重ねて読んでもらえれば」というものだった。

 イシグロさんは、もともとファンタジー小説の書き手ではなく、「忘れられた巨人」では「手段」としてのファンタジーを用いたのだろう。読後感は鬼や竜が登場するのに、私たちの問題として、とてもリアルに感じられるものだった。ノーベル文学賞受賞を機に、一人でも多くの方にお勧めしたい1冊だ。(甲斐毅彦)

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