•  スポーツ報知では大型連載「あの時」を始めます。各スポーツの大記録達成の瞬間や著名人らの失意の時などを担当記者が再取材。当時は明かされなかった関係者の新証言やエピソードで、歴史的なできごとを再現します。

【あの時・プロ格闘家小川直也の挑戦】(1)テレビゲームさえも情報源に

2017年4月10日14時0分  スポーツ報知
  • 小川(左)は橋本に裸絞めでTKO勝ち。プロデビュー戦を飾った

 1997年4月12日、東京ドームに新たなプロ格闘家が登場した。柔道の世界王者に4度、全日本王者に7度も輝いた小川直也(当時29)が、新日本プロレスのリングに上がった。デビュー戦の相手は、IWGP王者の橋本真也(同31)。戦前の不利予想を覆し、柔道王は必殺技STO(スペース・トルネード・オガワ)を繰り出して、最強レスラーを裸絞めに落として勝利をつかんだ。プロ転向から20年。日本を代表する武道家の「新たな挑戦」をプレーバックする。(取材・構成=谷口 隆俊)

 ▼時間無制限1本勝負

小川 直也 9分25秒TKO(STO→裸絞め)橋本 真也

 小川の「プロ」デビュー戦は異例づくしだった。舞台は6万500人が集まった東京ドーム。“燃える闘魂”アントニオ猪木、初代タイガーマスクの佐山聡が指導に当たり、相手は新日本最強王者の橋本だ。

 「橋本さんの対戦相手がキャンセルして空いちゃった。そこに“猪木パワー”でゴリ押しですよ。『小川は練習生からやらせる』という声もあったけど、猪木さんは経営者(当時会長)として『プロレスの未来を考えると、悠長なことを言っている場合じゃない』って」と小川。猪木は「無謀」の意見に反発し、超大物とのカードをブッキング。4度の世界タイトルを獲得した小川の経験と潜在能力に懸けた。

 「プロレスをじっくり見たことがなくて…。橋本さんは柔道経験があっても、柔道家のイメージはない。初めて会った時も『この人が新日本のエースか』くらいしか思わなかった。猪木組は佐山さんと3人の少数精鋭。俺は今までずっとトップだったけど、この中では一番の若手。斬り込み隊長で、かつエース。新しい(対抗戦の)形だった」。先入観がないから「怖さ」もなかった。

 「衝撃的な試合だった」。橋本のチョップ、ミドルキックのワンツーで始まった。ひるむ小川。投げを試みるが、相手は上半身裸。「思っていた以上に相手がつかめない。蹴りが重かった」。得意の支えつり込み足で投げても、逆に手刀、蹴りの猛攻に続けてダウンを喫した。試合を優勢に進めた橋本は8分過ぎ、払い腰を切り返してバックドロップ。倒れた小川を「つ」の字に起こすと、左腕を相手の首に回した。首を脇に固めたまま後方に倒れ込み、顔面をマットに叩きつける必殺技DDTの体勢だ。

 腰を下ろし右膝をついて必死に踏ん張る小川。事前にビデオ研究などはしなかった。「猪木さんが『戦い方は、その場で感じたようにやらないと』って、仙人みたいなこと言うから(笑い)」。だが、DDTだけは絶対に食らってはいけないと知っていた。

 「ファミコンのプロレスゲームで、技の『ダメージ度』を見ていたんです。DDTが一番、高かったから、それだけは必死にこらえた」。プロレス技の威力は受けないと分からない。ゲームは数値化されていて比較しやすい。何も知らないから、猪木が気分転換に与えたテレビゲームさえも、小川は情報源として活用した。

 こらえる小川に、橋本の脇が一瞬甘くなる。その時、リングサイドの猪木と目が合った。「行け!」。小川は相手の左腕から頭を抜くと、STOの体勢に入った。(敬称略)

 ◆小川 直也(おがわ・なおや)1968年3月31日、東京都生まれ。49歳。八王子高1年から柔道を始め、明大2年の87年、世界選手権無差別級で19歳7か月の当時史上最年少V。89、91年も勝ち、史上初の3連覇。全日本選手権優勝7回(89~93、95~96年)。五輪は92年銀、96年5位。97年、日本中央競馬会を辞め、プロ格闘家に転向。99年、NWA世界ヘビー級王座を獲得。K―1、UFO、PRIDE、ハッスル、IGFなど多くのマットで活躍。193センチ、115キロ。

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