脇村春夫氏、プロアマ問題で尽力した功績が評価…野球殿堂特別表彰

スポーツ報知
野球殿堂入りが決まり、あいさつする脇村春夫氏

 平成最後の野球殿堂入りが15日、東京・文京区の野球殿堂博物館で発表された。エキスパート表彰では、中日入団から2年連続30勝以上を挙げ、98年に監督として横浜を38年ぶりの日本一に導いた権藤博氏(80)が選ばれた。プレーヤー表彰では、中日の中心打者として通算2480安打を放った立浪和義氏(49)が選出された。また、第5代高野連会長としてプロアマ関係の改善に尽力した脇村春夫氏(87)が特別表彰で殿堂入りを果たした。

 アマ球界などが対象の特別表彰では、第5代日本高野連会長の脇村春夫氏(87)が選出された。1949年夏の甲子園に湘南高の三塁手として出場し、初出場初優勝。東大で主将を務め、社会人でもプレーした。2002年から08年まで務めた高野連会長として、プロアマ関係の改善に尽力した功績が評価された。

 皇后美智子さまのいとこにあたり、この日87歳の誕生日を迎えた脇村氏は「(理由が)あるとすれば、プロアマの問題を(解決に向け)軌道に乗せたことでしょう」と感激の面持ちで話した。03年に選手会と協力してシンポジウム「夢の向こうに」を開催しプロ選手が初めて高校生に技術指導。04年にはプロ側と「新人選手選択に関する覚書」に調印し、高校生のプロ入り正常化を実現した。

 会長就任後初の会議では「なぜ同じ野球なのにプロ選手が母校の後輩に声をかけられないのか。不自然でしょう」と問題提起したという。裏金問題に端を発した特待生問題解決にも尽力し、今日のプロアマ交流促進の礎を築いた。

 ◆脇村 春夫(わきむら・はるお)1932年1月15日、東京・文京区生まれ。87歳。49年、神奈川・湘南高2年時に三塁手として甲子園初出場初優勝。東大では主に三塁手で4年時は主将。卒業後は東洋紡に入社、55年には東洋紡富田で都市対抗出場。東洋紡岩国に移籍し計3年間プレー。2002年11月から08年11月まで日本高野連第5代会長。

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