•  スポーツ報知のWebサイト限定コラムがスタートしました。最前線で取材する記者が、紙面では書き切れなかった裏話や、今話題となっている旬な出来事を深く掘り下げてお届けします。皆さんを「ほーっ!」とうならせるようなコラムを目指して日々配信しますので、どうぞお楽しみください。

16年間、観光親善大使を務めた小笠原道大が小笠原村にもたらしたもの

2018年3月19日10時50分  スポーツ報知
  • 小笠原村父島
  • 小笠原村産業観光課長・牛島康博さん
  • 2000本安打を記録した小笠原を祝福する小笠原村の森下一男村長と少年野球チーム「小笠原ファイターズ」の子供たち(2011年8月20日撮影)
  • 2000年末に父島を訪れた小笠原を報じるスポーツ報知
  • 小笠原村が日本ハム(当時)小笠原応援用に作成した旗のデザイン

 東京都心から南に約1000キロ離れた小笠原諸島は亜熱帯の美しい自然と固有の動植物が残り、ホエールウォッチングなどが楽しめる島々だ。日本ハム、巨人、中日で活躍した小笠原道大(44=現中日2軍監督)は1999年から現役引退まで16年間、小笠原村の観光親善大使を務めた。今年6月には返還50周年記念イベントを予定するなど注目を集める小笠原村に観光親善大使は何をもたらしたのだろうか。

 「我々が考えていた以上に長く在籍していただきましたね。感謝しかありません」。こう語るのは小笠原村産業観光課長・牛島康博さん(49)だ。名前が同じだという縁で小笠原が観光親善大使に就任したのは日本ハム入団3年目、レギュラーを獲得したオフだった。翌年は最多安打のタイトルを獲得するなど一気にブレークし球界を代表する打者に駆け上がった。

 クジラのマークが描かれたヘルメットが吹き飛ぶほどのフルスイングをみせ、ホームランを打つと東京ドームのオーロラビジョンにザトウクジラがジャンプする映像が流されるなどPR効果は抜群だった。小笠原自身も2000年の年末から年始にかけて父島を訪問したこともあり、島民はより身近に感じて声援を送るようになった。

 村に活気を与えた。親善大使就任と時を同じくして島では少年野球チーム「小笠原ファイターズ」が結成された。1チームしかないため、地元の大人たちのチームと試合を行うことで世代を越えた交流が深まった。夏休みに港区のチームと親善試合を行う際に、子供たちは東京ドームでの日本ハム戦を観戦するとともに試合前にノックを受ける貴重な体験もした。牛島さんは「島の子供たちに楽しい思い出を残してくれましたし、身近で一流のプレーをみせてくれたのが一番の財産ですね」。小笠原からは日本ハム時代の2003年と、巨人移籍後の07年にユニホームをプレゼントされた。

 その小学生が野球を続けたいと、中学にも野球部が出来た。14年から3年間、村田兆治さんが提唱した離島甲子園にも出場(16年は他の島との合同チームでの出場)した。「最近は野球をする子供は減りつつあるんですけれど、中学まで続けてくれるのはうれしいですね」と牛島さんは振り返った。

 日本ハムの北海道移転後、スタンドではビニール製のバンドウイルカを振っての応援が定着した。「こちらで企画した訳ではなく北海道の人が自然発生的に応援してくれた。うれしかったですね」。牛島さんが何よりうれしかったのは、球団を移籍しても親善大使としての活動が継続したことだ。FAで07年に巨人に移籍後も、14年に中日に移籍しても続いた。「ジャイアンツも試合前にステージでPRをさせてもらったし、ドラゴンズさんにも快く引き受けてもらいました」。

 順風満帆ではなかった。「実はジャイアンツの終わりのころ、『そろそろ(退任したい)』ということは言われていました」11年に小笠原村が世界自然遺産に認定された頃、小笠原の出場試合が減少していった。「小笠原プレゼントナイター」を企画しても、2軍で調整中で不在ということもあり、忸怩たる気持ちもあったのだろう。「親善大使として貢献できていないとおっしゃられたんですが、何とか続けてくださいとお願いしました」。

 小笠原が14年に中日に移籍したことで新たな道ができた。15年限りで現役を引退し中日2軍監督に就任したため、翌年2月18日に親善大使を退任したが、ナゴヤドームでイベントを開催したことで、名古屋の人々をターゲットにした観光客の誘致に踏み出したのだ。「今までは首都圏に向けてPRしていましたが、それを広げて名古屋の人にも島に来てもらおうとしました」。16年から「名古屋ウィメンズマラソン」とタイアップし、出走権つきのトレーニングツアーを小笠原で実施。自然と観光を楽しみながら走れる企画は好評で今年で3回目となり定着した。16年7月から東京・竹芝と父島を結ぶ「おがさわら丸」が新型船となり所要時間が25時間半から24時間に短縮。出発時間が午前10時から11時に変更になった。「(名古屋からは)東京で前泊せずに船に乗ることが出来るようになったことも大きいですね」。

 世界遺産登録直後は観光客が激増したが、ブームも一段落し、昔からのリピーターも島に戻って来たという。空港を建設し航空路を開設する動きもある。「地方創生」として島の新たな魅力を発信していくために、小笠原道大と村との16年間の幸せな関係は、有形無形の財産として残る。親善大使としてまいた種はしっかりと根を張って、大きな花を咲かせようとしている。(コンテンツ編集部・高柳 義人)

コラム
今日のスポーツ報知(東京版)