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プロ野球選手から神主に転身し“全力投球” 元日本ハム・神島崇さんが語る意外な共通点

2018年4月24日11時0分  スポーツ報知
  • 香取神宮の拝殿を背にする神島崇さん
  • 現役時代の自身の野球カードを手にする神島崇さん
  • 現役時代の神島崇さん
  • 神島さんのプロ初登板の試合を報じるスポーツ報知(2001年10月1日)

 鮮やかな朱色の大鳥居をくぐると春には桜が咲き、秋には紅葉が色づく参道が続く。四季折々、様々な表情を見せる自然に囲まれた千葉・香取市の香取神宮で神職をつとめている元プロ野球選手がいる。日本ハムに在籍した左腕・神島崇さん(39)だ。

 「もうこの世界に入ってからの方が、野球をやっていた時より長くなりましたね」。神島さんは温厚そうに、柔らかい笑みを絶やさずに静かに話す。神社では宮司を筆頭に、権宮司、禰宜(ねぎ)、権禰宜(ごんねぎ)といった身分があり、神島さんは権禰宜である。神職の一日は朝8時20分に朝のお参りである「朝拝」から始まる。その後は境内の掃除。「ご祈祷(きとう)にみられる方がいらっしゃったら交代で務めますし、ご朱印を書いたりします。そのほかには事務仕事もあります」。神職のことを仲執り持ち(なかとりもち)とも言う。「参拝する方と神様の中間に入るという位置づけです。それだけにちゃんと姿勢を正してやっていかないといけません」。神島さんは神職の資格を取ってから熊本・菊池神社で1年、福岡・太宰府天満宮で5年、愛知・砥鹿(とが)神社でも5年、奉職し、昨年3月に香取神宮にやってきた。

 元プロ野球選手がなぜ、神職になったのか。その前に、神島さんの球歴を振り返りたい。福岡・東海大五(現・東海大福岡)を卒業した神島さんは知人の紹介で米国へ留学し、アリゾナ州のインディアンヒルズ短大へ進む。1年目が終わった時に、ニューヨーク州で行われた選抜チームのサマーリーグに参加した。多彩な変化球を操るクレバーなピッチングを、当時、日本ハムからヤンキースへコーチ留学していた白井一幸さんが見ていたのだ。

 「アイダホ州のルイス・クラーク州立大への編入が決まっていたんですが、短大卒業後に日本に帰ってきた時に日本ハムから声がかかって…」。千葉・鎌ケ谷の2軍施設で素性を明かすことなく極秘で練習し、1999年ドラフト6位で入団。“隠し玉”、“逆輸入”として話題となった。

 プロ初登板は鮮明に覚えている。2年目の10月1日、最終戦の1試合前の西武戦(西武ドーム)だった。5―2と3点リードの9回2死から5番手で登板した。「ブルペンで1回肩を作って、ずっと座っていたら、急に『最後行くぞ』って言われて…。体が冷えていたのであわてて準備しました」相対したのは左のスラッガー・鈴木健。ライトフライに打ち取りゲームを締めくくった。

 わずか1/3回、4球での1軍でのピッチング。シーズン最終盤の消化試合で、来季をにらんだ起用でもあったが、結果を残したことで手応えも感じていた。翌年途中には腕を下げサイドスローに転向したが、1軍昇格を果たせずに2003年オフに戦力外通告。4年間で1軍登板はわずかその1試合だった。

 戦力外通告を受けた時、球団からは打撃投手としての契約を打診された。現役続行を目指して、ヤクルト、ダイエー(現ソフトバンク)のテストを受けたが不合格。合同トライアウトも受験したが、オファーは広島からの打撃投手だけで、現役を断念した。

 第二の人生を考えた時に、父親の存在があった。父親・定さん(72)は当時、宗像大社で宮司を務めていた(現在は退職)。兄・亘さん(44)も太宰府天満宮で神職を務めていた(現在は宗像大社に奉職)。神島家は過去をさかのぼると先祖代々、神職を継いできた家系だという。神職からはしばらく離れた時期もあり、神島さんの祖父は旅館を経営していたが、定さんの代から再び神職との縁が再開した。

 「戦力外になる少し前くらいから、父から話がありまして、『テストを受けても現役がダメだったら、神職の方を目指す選択肢もあるぞ』と言われていたんです。『年を取ってもなれなくはないけれど、取ればとるほどしんどくなるぞ』と…」。当時24歳の神島さんは、父のアドバイスを受け神職になることを決意した。

 神職になるためには資格が必要だ。アプローチの方法はいくつかあるが、国学院大・神道文化学部で4年間学び卒業するか、国学院大専攻科で1年間勉強する必要がある(他には三重・皇学館大もある)。専攻科の受験資格は4年制大学卒業者で、神島さんは短大卒のため、専攻科の受験資格はなかった。他の手段として国学院大に併設されている神職養成機関に進んだ。

 「2年間で資格が取れるんですが、都内の神社で住み込みで実習する必要があるんです」。他には伊勢、出雲、塩釜など6か所に同様の施設がある。神島さんは飯田橋にある東京大神宮で実習して、夜間は国学院大の渋谷キャンパスで学ぶ日々が続いた。

 「今思えば、資格を取りに行き始めたときは大変でしたね」。社務所では同僚とは薄いベニヤ板で仕切られただけの“個室”で生活する。恵まれた環境で野球に打ち込むことが出来たプロ野球選手時代から激変した。「研修の時には、厳しくも、みなさんやさしく教えていただきました」。ご祈祷奉仕での神社祭式の作法などを教わった。「この場所ではこっちの足で立ってとか、座った状態で何歩進んで、何歩退くとか、細々とした作法を教わりました。覚えるというか体に染みこんで自然に出来るようになります」。

 似たような感覚は現役時代にも経験した。チームの方針でサイドスローへのフォーム改造を行った。左打者がより打ちにくくなるように、ひじを下げ、踏み出す足をインステップ気味に変えた。一度、体に染みこんだ投球フォームを変えるのはそう簡単ではない。一進一退を繰り返しながら、少しずつ段階を経て徐々に変えていく。「最後の方は形になりましたね。逆に元に戻せなくてキャッチボールでもインステップするようになりました」と神島さんは笑う。同じように自然に体が動くように所作を習得していった。

 父親の配慮にも感謝した。雅楽が出来た方がいいとのことで、篳篥(ひちりき)を教わった。竹で出来たリード楽器で、他には龍笛(りゅうてき)、笙(しょう)がある。「プロ野球を辞めて年末に実家に帰ってから、(入所まで)3か月みっちり父から教わりました」。それが生きた。東京大神宮では神式結婚式が多い。そこで演奏に加わり、“即戦力”として貢献することが出来た。

 神職には資格の階位がある。上から浄階(じょうかい)、明階(めいかい)、正階(せいかい)、権正階(ごんせいかい)、直階(ちょっかい)と5つあり、別表神社と言われる規模の大きな神社では、宮司、権宮司になるためには明階の資格が必要とされる。大学や養成機関で得られる資格は正階で、4年制大学の卒業者は2年間の実務経験で明階が取れる。養成機関を経た神島さんは10年以上の実務経験と研修が必要で、ようやく明階の資格を取得した。

 プロ野球選手としての経験が神職にどう生きるのか。神島さんは「う~ん」とうなりながらもこう言葉をつないだ。「プロ野球は勝負の世界なので精神面での強さが求められます。神職でもお願いごとを持ってこられる参拝者に対して弱い精神力では迎えられません。おどおどしているようでは参拝者は不安に思いますよね。そこはつながっているし、形は違えど共通します」。2軍で黙々と研鑽(さん)に励んでいた日々を思い出す。「調子がいいのに出してもらえない。抑えて結果を残しても登板間隔があく…。そういったこともありました。何でだろうと思いながらもそれでも腐らずにやってきたのが大きいのかもしれません」。

 神職としてのやりがいとは何だろうか。神島さんが太宰府天満宮に奉職していた時、参拝者とのうれしいやりとりがあった。「受験合格のご祈祷を担当したのですが、無事合格してお礼参りに来られて、奉告祭でも偶然、私が担当したんですね。そうしたらその子のお母さんが私を覚えてくださって『お陰で合格できました』っておっしゃってくださったんです。神職になって人に貢献するということが出来て良かったと素直に思いますね」。

 プロ野球選手と違い“個”の存在がなかなかクローズアップされない。それでも神島さんは「野球でもファンの方が応援に来て楽しんで喜んで帰ってくれるとうれしいですよね。神社でもお参りに来て、喜んで帰る姿を見ると良かったと思いますよ」と喜びを口にした。

 神島さんは、7年前に巫女の女性と結婚して、5歳の長女を筆頭に2歳の長男、今年3月に生まれた次男と3児をもうけた。守るべき幸せな家庭がある。自宅にはグラブがあるくらいでプロ野球選手の痕跡はほとんどない。子供をプロ野球選手にさせたいのか。「本人がやりたければやっていいし、無理にさせようとは…。神職も同じですね」。神島さんはやさしくほほ笑んだ。(コンテンツ編集部・高柳 義人)

 ◆神島 崇(かみしま・たかし)1979年1月9日、福岡生まれ。39歳。玄界中で野球を始め3年では県大会優勝。東海大五(現・東海大福岡)では背番号10。卒業後、米国アリゾナ州のインディアンヒルズ短大に進み、99年ドラフト6位で日本ハムに入団。同期入団には正田樹(現四国IL・愛媛)、田中賢介らがいる。03年に退団。1軍成績は1試合、1/3回で0勝0敗、防御率0・00。2軍では67試合で1勝3敗、防御率4・85。神職の資格を取得後、熊本・菊池神社、福岡・太宰府天満宮、愛知・砥鹿(とが)神社を経て現在は千葉・香取神宮に奉職している。現役時代のサイズは180センチ、77キロ。左投左打。

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