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84年春夏甲子園…関東勢に優勝旗をもたらしたアルプスの「勝利の女神」とは

2018年5月21日16時0分  スポーツ報知
  • 元TBSアナの須賀雅子さん。84年夏の甲子園を記念したハンカチは青春の宝物だ

 5月1日から、全10回に渡って本紙の連載「高校野球 あの時」で1984年夏の甲子園決勝「取手二対PL学園」について書かせていただいた。取材に応じて下さった木内幸男さん、中島彰一さん、塙博貴さんら取手二の優勝メンバー、そして桑田真澄さんには心から感謝申し上げたい。

 優勝投手の石田文樹さんを取材する夢は叶わなかったが、立派な大人へと成長した長男の翔太さんからは、亡き父の人柄が偲ばれる話を聞かせていただいた。茨城出身で当時小4だった私にとって、取手二の全国制覇は郷土の誇りであり、野球が大好きになるきっかけになった。今回の連載は16年目を迎えた野球記者生活の中でも、忘れられない原稿になった。

 多くの関係者への取材を通じて、あの夏には取手二を頂点に導いた「勝利の女神」がいたことを知った。当時TBSの2年目アナウンサーだった須賀(旧姓・野口)雅子さんだ。須賀さんは、平日午後6時からの関東ローカルニュース番組「テレポート6」のリポーターとして、84年の春夏甲子園で関東の全出場校を担当した。センバツでは岩倉(東京)が、夏の選手権では取手二が、それぞれ下馬評を覆して、2年生だったKKコンビを擁する横綱・PL学園を撃破。関東に紫紺の、そして深紅の優勝旗をもたらしている。

 取手二が延長10回の死闘を経て、PLを撃破した時はアルプススタンドで取材中だった。須賀さんはこう回想してくれた。

 「優勝した瞬間、取手二のアルプススタンドの皆さんが『野口さん、ありがとう。あなたは勝利の女神だ』と言ってくれたんです。取手二のスタンドには毎試合、ずっといましたから、選手のお父様やお母様には親戚のお姉さんみたいな感じで、本当に支えて頂きました。『テレポート6』は完全に関東勢を応援するというスタンスの番組でした。公平性を大切にする今だったら、できない企画かもしれませんね」

 全国から集結するJNN各局のリポーターにとっても「闘い」だった。TBS系列の各局は甲子園近くの幼稚園を取材基地としていた。センバツ期間中も夏の選手権期間中も、幼稚園児は長期の休みになっているからだ。開幕当初は多くの取材陣が集うが、担当チームの敗退とともに聖地を去っていく。

 「だからリポーターも一緒に戦っている心境になるんですよ。私は春も夏も決勝までいることになったんですが、最後はがらーんとしちゃって」

 当時の「テレポート6」の甲子園リポートを改めて視聴する機会に恵まれた。小室等さん作曲のオープニング曲「夕暮れに」が懐かしい。当時関東在住だったアラフォーは涙腺決壊必至だろう。掛け値なしの名曲である。スタジオの山本文郎さんと新井瑞穂さんが軽妙な掛け合いを演じた後、現地の須賀さんを呼ぶ。一生懸命な24歳の声は、とにかく瑞々しい。球児の父母たちに愛された理由が、理解できる。

 「時代は変わった」と言ってはそれまでだが、「テレポート6」の取材カメラはいい意味で図々しく、現場へと潜入していく。甲子園入りする新幹線の座席、球場へと移動するバスの車中、夕食後、ナインがくつろぐ洗濯物が干された宿舎の大広間…試合当日は午前5時から宿舎前に張り込み、早朝の散歩へと帯同し、ナインの本音を引き出す。臨場感や熱が凄まじい。須賀さんは昼夜問わず、マイクを片手に笑顔で取材対象に向かっていった。

 「視聴率も良かったんです。だから入社2年目なんですが、報道部長賞をいただいたんですよ。関東のチーム一つ一つがみんな個性的で違っていて、面白かったです。岩倉も取手二もやんちゃでノリが良くて、楽しかったですね」

 取材者として見た木内幸男監督は、どのように映ったのだろうか。

 「今でも印象に残っているのは、選手たちを『子供ら』と呼んでいたことです。選手とか生徒じゃなく『子供ら』という音の響きがとても温かくて。温かいんだけども、まなざしの奥は厳しくて。『指導者は厳しさと柔らかの両方がないといけないんだな』と思いましたね」

 もうすぐ100回目の夏がやってくる。栄冠はどのチームの頭上に輝くのだろうか。そして、勝利の女神はいったい誰に―。今年の夏が84年のように未来永劫、語り継がれる季節になることを願うばかりだ。(野球デスク・加藤 弘士)

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