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負けて名を上げる…満塁弾で敗れた星稜の戦い、思い出した松井氏の言葉

2018年8月13日19時0分  スポーツ報知
  • 12日の済美戦の延長13回、矢野(左)にサヨナラ満塁弾を浴び、がっくりと肩を落とす星稜の寺沢

 サヨナラ満塁本塁打は大会史上初のことだった。

 12日に行われた夏の甲子園・2回戦。劇的なドラマは起きた。星稜(石川)と済美(愛媛)の試合は9―9でタイブレークへ。11―9の延長13回無死満塁。済美の1番・矢野功一郎内野手(3年)が逆転サヨナラ満塁本塁打を放った。開幕戦の勝利で注目を浴びた星稜が、球史に残る試合で涙を飲んだ。

 星稜の敗戦に、私は7月中旬に行われた松井秀喜氏の野球教室「ベースボールファウンデーション」の取材を思い出した。そのとき、松井氏は高校野球の話をしてくれた。

 「山下(智茂・現総監督)先生は以前、自虐的に言っていた。星稜高校は『負けて名を上げる』って。確かにその通りだな」

 松井氏がまず回想したのは、1979年大会の3回戦の箕島戦(和歌山)。星稜は春の王者と大熱戦を演じ、延長18回の激闘の末、3―4でサヨナラ負けをした。箕島はその後、春夏連覇を成し遂げた。松井氏が「高校野球のベストゲームは?」と聞かれれば、この試合を出す。

 懐かしそうに高校時代の思い出の引き出しを開けてくれた。「誰が作ったかはわからないんだけど、部室にその時の18回のスコアボードが飾ってあった。我々の星稜は当時は決して強豪じゃない学校だったと思う。自分たちと同じユニホームを着た先輩がそれだけの死闘を繰り広げたというのが、後輩にとって誇り。最も素晴らしい試合だった。それが受け継がれていると思う」

 対戦した当時・箕島の尾藤公監督も書籍「私の高校野球」(報知新聞社・刊)の中で「なんて素晴らしい若者たちなんだろう。星稜の選手たちも箕島の選手たちも」と試合後に涙があふれて止まらなかったと振り返っている。全力でぶつかっていったから、敗れても見ている人の胸を打つものがあった。松井氏もその一人だった。

 13年後の92年の第74回大会の2回戦・明徳義塾(高知)では社会現象になった松井氏の5打席連続敬遠。試合は敗れ、星稜は負けたことでまたクローズアップをされた。

 現役中にこのときの話を聞いたことがある。松井氏は当時を振り返り、「甲子園という大きな舞台で5回も敬遠されたのは、後にも先にもない。どこかで5回敬遠された打者だったというのを証明しなければいけない。それが大きなエネルギーになって、僕の体の中で流れ続けている」と、この出来事に文句を言うどころか、感謝の思いを持ち続けていた。

 一つの敗戦が人生に大きな影響をもたらす。79年の箕島戦を一人で投げ抜いたエースの堅田外司昭(かただ・としあき)さん(56)は高校野球で審判委員になった。

 堅田さんは1日目の松井氏に続き、レジェンド始球式に“登場”した。2日目の第1試合・山梨学院(山梨)―高知商(高知)の球審を務め、レジェンド始球式に登場した箕島(和歌山)OBの石井毅さん(57、現姓名は木村竹志さん)をマウンド上でエスコート。松井氏とともに100回の記念大会を彩った。

 今大会の星稜の激闘も、新たな名勝負として甲子園の歴史に残っていくだろう。勝負事である以上、勝者と敗者は存在する。悔しさはその後の人生のエネルギーになる。負けの経験をどう生かすのか。選手たちには、この球史に残る「敗戦」を忘れず、この後の道を力強く進んでほしい。(記者コラム・楢崎 豊)

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