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甲子園の砂にこめた1年生捕手の思い

2018年8月14日16時0分  スポーツ報知
  • 山梨学院・栗田勇雅捕手

 初めての甲子園は、あっという間の2時間23分だった。山梨学院(山梨)は大会第2日(6日)の第1試合で、高知商(高知)相手に両校30安打の壮絶な打撃戦の末、12―14で敗れた。試合後、涙を流しながらベンチ前で砂を集める先輩とともに、1年生捕手・栗田勇雅は特別な思いで、砂を袋につめた。

 それは、「何歳の頃か覚えていない」くらい昔の思い出だ。幼い栗田少年が、夏休みに福島・双葉町にある祖父の家を訪れた際に見つけた小瓶。父・健一さん(40)が使っていた部屋に飾られていたものを「甲子園の砂だよ」と教えてくれたのは祖父だった。健一さんは福島・双葉高野球部出身。1年生だった1994年夏、チームは甲子園に出場。ベンチ入りは逃したが、当時の砂を大切に保存していた。甲子園の意味すらよく分からなかったけど、「すごく大切なものということは分かった」。特別な場所への憧れが生まれた。

 生活が一変したのは、小学2年時の3月。いわき市・四倉小に通う2011年3月11日。震度6弱の激しい揺れの後、津波が町を襲った。「学校の2階くらいまで(津波が)来た」。避難した高台から級友と見た風景は、今も忘れることができない。被災した沿岸部の自宅を離れ、同市内で新しい生活が始まった。野球への思いは変わらず、小3で「平少年野球教室」に入り、中学は地元の強豪「いわきボーイズ」でプレー。捕手として力をつける一方、4番打者としてチームを支えた。野球に打ち込む栗田のために、家族は自宅の庭に練習用のネットを張った練習場を作り、健一さん自らがボールを投げ、練習に付き合った。素振りやティー打撃など「自分(の打撃)を作ってくれたのはお父さん」と栗田は話す。中3になると、いくつもの高校から勧誘の声がかかった。「一緒に甲子園で戦おう」。遠い地から何度も足を運んでくれた吉田洸二監督(49)、松崎将部長(35)の誘いに山梨行きを決めた。甲子園が『憧れ』から『目標』に変わった。

 幼い頃に見た小瓶は、今も手にすることができない。福島第1原発の事故の影響で、祖父母が住んでいた双葉町は現在も帰還困難区域に指定されており、小瓶は祖父の家に残されたままだ。栗田は「自分が甲子園に行って、父に新しい砂を渡したい」。全国から集まった選手と共に懸命に練習に打ち込み、春の県大会からメンバー入り。プロ注目のエース左腕・垣越建伸(3年)を筆頭に140キロを越える投手陣のボールを、懸命に受けた。投手出身の健一さんが教えてくれた、投球時の間合いの取り方や投手の気持ちを大事にした配球など、福島で学んだことの多くが役立った。

 「1年生とは思えない堂々としたプレーや冷静な判断力を持つ選手」。吉田監督の高い信頼を得て、夏の山梨大会では正捕手の証である背番号「2」を得た。チームは3年連続8度目の山梨大会優勝。その夜、家族で食事に出かけた際、健一さんは「良かったな。甲子園はいい所だぞ」と声を掛けた。父が甲子園を語ることはあまりなかっただけに、栗田は「本当にうれしかった」と話す。

 初めての甲子園は、感動と、それを上回る悔しさを残した。いつもは力強い球で相手を打ち取る3年生投手陣が、次々と打たれた。「雰囲気にのまれてしまった。甲子園に魔物がいるって言葉の意味が分かった」と栗田。それでも「1年生で、こんな経験をさせてもらった。(チームに)残る自分が、みんなに伝えていかなければ」と顔を上げる。

 新しい土が詰まった瓶を、感謝の言葉と共に健一さんに手渡すつもりだ。栗田は「甲子園に出るチャンスはあと4回ある。全部行きたい」。いつの日か、父の小瓶と自分の土を並べて飾れる事を願いながら、新たな戦いに臨む。 (記者コラム・大津 紀子)

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