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巨人のドラ2は「坂本勇人2世」 共通点は「負けん気」

2018年10月29日22時58分  スポーツ報知

 今から11年前。2007年9月6日。元甲子園球児の父の影響で自宅のテレビでは、いつも通り巨人戦が流れていた。

 中日との天王山第3戦目、1―1の延長12回2死満塁で打席に立ったのは、体の線が細く、あどけなさが残った青年だった。「ここでルーキー?」。中1ながらにそう思った私は、彼が後に巨人軍第19代主将を務め、誰もが憧れる球界のスターへと成長する人物とは知るよしもなかった。

 ナゴヤドームに緊張感が張りつめる中、詰まった打球はポトリと中前に落ちた。一塁ベース上で安堵(あんど)の表情を浮かべたヒーローこそ、当時入団1年目、18歳の坂本勇人だった。大観衆の中、あの場面で役目を果たす勝負強さに思わずため息が漏れた。広い守備範囲に長打力、勝負強さを兼ね備えた大型ルーキーはキラキラと輝いていた。

 「継続は力なり。野球を楽しむためには苦しい練習が必要です」。ある雑誌のインタビューで坂本勇はこう話している。小学時代は「昆陽里(こやのさと)タイガース」で、チームメートだった田中将大(ヤンキース)と遠投や打球の飛距離を競っていたという。「田中が校舎の3階まで飛ばせば、自分は4階まで飛ばそうと思っていた」というコメントも記憶に残る。

 当時の私はソフトボール部で、憧れのショートを下級生に奪われ、結果が出ず、もがいていた。自分には“負けん気”が足りない、とこの記事に気付かされ、心を入れ替えた。私も人の心を動かすきっかけを作れるようなものを発信したい。 そう思い始めてから11年。新人記者としてスタートして2か月。高校野球の茨城大会で、一人の選手と出会った。今秋のドラフト会議で巨人から2位で指名されることになる、明秀学園日立の増田陸内野手だ。1番・遊撃で主将。誰よりも声を出し、チームを引っ張る姿、持ち味の初球からガンガン振っていくバッティングスタイルは、坂本勇とそっくりだった。

 2回戦・岩瀬日大戦ではサイクルまであと二塁打1本の3安打4打点。打力と軽快な守備に、思わずスコアを書く手が止まるほど見入っていた。しかし、チームは準々決勝で土浦日大に敗退。もう一度、彼のプレーを見たい。私の心にぽっかり穴が空いた。

 取材すると、どんな時も増田はこう言った。「明秀日立は自分のチーム。自分が打たなきゃ勝てないと思っています」。人一倍、責任感が強く、ストイック。中学時代は、練習から帰宅すると、カーテンを全開にした部屋の窓を鏡代わりに素振りの毎日。「(当時のチームメート)早実の野村や、大阪桐蔭の中川には負けたくないと思っていました」。増田もまた、坂本同様、ライバルを作ることで自身を成長させていた。

 坂本勇と増田、2人の共通点は「負けん気が強いこと。練習に対してストイックやね」と、話すのは同校の金沢成奉監督(51)。光星学院(現八戸学院光星、青森)監督時代に坂本勇を育てた名将だ。「坂本がプロで初めてホームランを打った時は興奮した。次は増田のプレーで興奮したい。甘い世界じゃないけれど、いつかは2人が同じフィールドで戦っている姿を見たいね」。努力家な増田のことだ。金沢監督の夢が叶う日は、そう遠くはないだろう。

 大阪生まれで明るくて人懐っこい。「巨人に入ったので、ズームイン・サタデーに出たいっすね。人を笑わすことは得意なんで」。新人のぎこちない取材も、ちゃめっ気で和ましてくれた。 プレースタイル、負けず嫌いでストイックな性格に関西人。「勇人2世」の呼び名の通り、彼から感じるスター性に、飛躍を期待せずにはいられない。プロ野球選手1年生を迎える増田選手と記者1年生の私。彼が球界のスターへと上り詰めたとき、私も一人前の記者へと成長していようと、心に誓った。(森下 知玲)

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